長念寺(読み)ちようねんじ

日本歴史地名大系 「長念寺」の解説

長念寺
ちようねんじ

[現在地名]飯能市白子

高麗こま川左岸、秩父に向かう国道二九九号に面して建つ曹洞宗寺院。清流山と号し、本尊は運慶作と伝える聖観音。寺伝によれば、天文年間(一五三二―五五)滝山たきやま(現東京都八王子市)城主大石定久(道俊)により創建され、その後慶長四年(一五九九)能仁のうにん寺四世の格外玄逸により中興されたと伝える。しかし延享元年(一七四四)当寺から高倉こうそう(現入間市)に移築された観音堂が室町前期の建造物である点や、墓域内に延文三年(一三五八)や至徳三年(一三八六)などの年紀をもつ板碑・宝篋印塔が数基確認されること、天文一二年七月一日には大石道俊が長念寺領の年貢完納を命ずる判物(寺蔵文書)を発している点などからみれば、天文期以前にも長念寺は存在していたようであり、臨済宗であったとみられるが詳細は不明である。

長念寺
ちようねんじ

[現在地名]栄町大面

大面おおもの中心地、旧道に面してある。浄土真宗本願寺派。山号小県山。本尊阿弥陀如来(木造立像)。元禄一〇年(一六九七)の御領分諸寺院開基其他(新発田市立図書館蔵)によれば、総州の住人権正元重が延慶年中(一三〇八―一一)名を慶蓮と改め一宇を建立したのが始まりという。応仁の乱の戦火をさけて信濃国小県ちいさがた郡、同国水内みのち郡と移り、永正一五年(一五一八)以後、越後国大面庄新堀にいぼり、大面村を経て、再び新堀に移った時火災に遭い宝物文書類を焼失

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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