長岳寺(読み)ちょうがくじ

精選版 日本国語大辞典 「長岳寺」の意味・読み・例文・類語

ちょうがく‐じ チャウガク‥【長岳寺】

奈良県天理市柳本町にある高野山真言宗の寺。山号は釜口山。天長元年(八二四)空海の開創。当初は堂宇僧坊四二棟を連ねた大寺であったが、鎌倉時代以後、火災などにより衰微荒廃。江戸時代に復興した。鎌倉時代の五智堂は真面(まめん)堂とも傘堂とも呼ばれ、鐘楼門とともに有名。釜口大師。

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日本歴史地名大系 「長岳寺」の解説

長岳寺
ちようがくじ

[現在地名]天理市柳本町

山辺やまのべの道に沿った釜口かまのくち山に所在。釜口山と号し、高野山真言宗。本尊阿弥陀如来。上長岡かみながおか集落にあることから長岳寺といい、俗に釜口大師ともいう。創建は長岳寺金剛身院旧記に「当山開基者弘法大師五十一才之開基也(中略)本願者大乗院御門跡聖信大僧上」とあり、また伽藍開基記にも「和州釜口山長岳寺者以高野大師為開山始祖」とある(大和志料)普賢院記録(寺蔵文書)によれば嘉禄元年(一二二五)八月に叡尊が釜口別院律家である霊山りようぜん(現天理市)の僧静慶について修行したこと、弘安四年(一二八一)に叡尊が梵網経を講じたことなどが知られる。鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺となったらしい。室町時代には塔頭普賢ふげん堂が大乗院領大市おおいち荘の下司職に付いている(享徳二年「大乗院領段銭引付」内閣文庫)。文亀三年(一五〇三)二月、大火により焼失(大乗院日記目録)。天正八年(一五八〇)の指出検地のとき寺領は三〇〇石であったが、羽柴秀吉の時代に没収された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長岳寺」の意味・わかりやすい解説

長岳寺
ちょうがくじ

奈良県天理市柳本(やなぎもと)町にある高野山(こうやさん)真言(しんごん)宗の寺。山号は釜口山(かまのくちさん)。通称、釜口大師とよばれる。本尊は阿弥陀(あみだ)三尊。山号の由来は、当地が日本武尊(やまとたけるのみこと)の第10子釜口王の遺跡であることによる。824年(天長1)に淳和(じゅんな)天皇の勅願により弘法(こうぼう)大師空海が創建したと伝え、もと大和(おおやまと)神社の神宮寺であったという。鎌倉時代には興福寺大乗院の末寺となったが、1602年(慶長7)徳川家康から朱印寺領100石を寄進された。江戸時代末より大師信仰の中心地として知られている。五智(ごち)堂、延命殿、庫裡(くり)、鐘楼門はいずれも国の重要文化財。本尊の阿弥陀三尊像は仁平(にんぴょう)元年(1151)の墨書銘があり、玉眼嵌入(かんにゅう)仏では最古のもので、多聞天(たもんてん)・増長天像とともに国の重要文化財に指定されている。山内には浄土庭園、庫裡近くに鶴亀庭園がある。

[祖父江章子]

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事典・日本の観光資源 「長岳寺」の解説

長岳寺

(長野県下伊那郡阿智村)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

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