柳本村(読み)やなぎもとむら

日本歴史地名大系 「柳本村」の解説

柳本村
やなぎもとむら

[現在地名]天理市柳本町

かみ街道沿いの村落。南は渋谷しぶたに村。古墳の密集地帯で、古代・中世には楊本やなぎもと庄があり、楊本氏が柳本城を構えた。山辺やまのべの道沿いには長岳ちようがく寺もあり、近世には柳本藩(織田氏)本拠となった。天文二二年(一五五三)の三条西公条「吉野詣記」二月二六日条に「長岳寺釜口と号す。愛染明王にをもむき二夜をあかしけり。この寺の護柳本とてやさしくなさけふかし。凡浮屠は桑下の三宿をだにいましめられしに。此柳本こそ千夜をも明すべきやどりはおぼえ侍れ」とみえている。

柳本村文禄検地(柳本の勝井家文書)によれば文禄四年(一五九五)の検地の村高二三九二・八一三石、反別一六七町二反半で、大和では超昇寺ちようしようじ(現奈良市)矢田やた(現大和郡山市)に次ぐ大村であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報