鎮守府(帝国海軍)(読み)ちんじゅふ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎮守府(帝国海軍)」の意味・わかりやすい解説

鎮守府(帝国海軍)
ちんじゅふ

帝国海軍時代の陸上各庁の一つ。各軍港に置かれ、その所在地の名を冠してよばれた。所管海軍区の防御および警備をつかさどり、海軍策源地の機能を統轄した。鎮守府司令長官は天皇に直隷し、部下の艦船部隊を統率、軍政面では海軍大臣の命に服し、また作戦計画に関しては海軍軍令部長(1933年、軍令部総長と改称)の指示を受けた。

 その沿革は1871年(明治4)兵部(ひょうぶ)省内に設置された海軍提督府より発している。1876年、海軍省内に東海・西海の両鎮守府を置くこととなり、9月、東海鎮守府を横浜に仮設。初代司令長官に海軍少将伊東祐麿(すけまろ)が任命された。東海鎮守府(西海鎮守府は設けられず)は1884年横須賀(よこすか)へ移転、横須賀鎮守府と改称された。1886年の海軍条例制定に伴って日本の海岸・海面を5海軍区に分かち、それぞれに軍港と鎮守府を設置する方針が出された結果、1889年7月、呉(くれ)(第二海軍区)、佐世保(させぼ)(第三海軍区)に鎮守府の開庁をみた。日露戦争前夜の1901年(明治34)には舞鶴(まいづる)鎮守府(初代長官東郷平八郎(とうごうへいはちろう)中将)、また戦勝後の1905年に旅順口鎮守府(翌年旅順鎮守府と改称)を加えた。ワシントン軍縮会議によって舞鶴鎮守府は1923年(大正12)要港部に縮小(1939復活)、旅順は1922年廃止されたので、帝国海軍と終始命運をともにした鎮守府は横須賀、呉、佐世保の3か所となる。鎮守府に準ずる機関として要港部(1941年以降は警備府)がある。いずれも1945年(昭和20)11月廃止された。

前田哲男


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