金剛山転法輪寺(読み)こんごうさんてんぽうりんじ

日本歴史地名大系 「金剛山転法輪寺」の解説

金剛山転法輪寺
こんごうさんてんぽうりんじ

[現在地名]御所市大字高天

金剛山の葛木かつらぎ岳山頂西方に所在する。真言宗醍醐派。本尊法起菩薩。古名は一乗山転法輪寺、金剛山寺。役小角の開基と伝え、金峯きんぶ山同様山岳宗教の霊地となり、奈良・平安朝以来、天台・真言両系の修験の地(明治初年まで女人禁制)として発達した。葛城縁起(諸山縁起)には「朝日嶽とも云ふ。この山に一度行く者、永く悪道に堕ちずと云へり。菩薩の住む所なるが故に。第三常行童子は常滅仏の垂跡なり。五尺の蔵王を埋め奉る。三世の香水なる閼伽の井あり。八尺の礼石あり、竜の庭には般若石屋あり、般若の塔ありと云へり。玉ありとも云へり。吉々尋ぬべし」とみえる。「金剛山内外両院代々古今記録」によると弘仁八年(八一七)に外院を修造、仁寿二年(八五二)に宝殿を造営、元慶元年(八七七)外院までことごとく焼失したので奈良興福寺別当孝忠が復興、鎌倉時代末期に長香が中興

弘和年中(一三八一―八四)大宿おおしゆく(鶯宿坊)以外の行者坊・長床ながとこ坊・西室にしむろ院・実相じつそう院・いし寺・朝原あさはら寺を脇寺六坊と称し、周囲約二キロの地の修道しゆどう寺・坊領ぼうりよう山・多聞たもん(河内国)、朝原寺・高天たかま寺・石寺・大沢おおさわ(大和国)を結合して金剛七坊とよんだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報