野間神社(読み)のまじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「野間神社」の意味・読み・例文・類語

のま‐じんじゃ【野間神社】

愛媛県今治市にある神社。旧県社。祭神は飽玉速命(あきたまはやのみこと)、若彌尾命(わかみおのみこと)、野間姫命ほか一柱。江戸時代には松山藩の雨乞の祈願所。牛頭(ごず)天王。天王さん

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日本歴史地名大系 「野間神社」の解説

野間神社
のまじんじや

[現在地名]笠沙町片浦

野間岳(五九一・一メートル)の山頂南方、八合目付近に鎮座する。祭神は瓊瓊杵尊・鹿葦津姫命(木花開邪姫命)および火闌降命・彦火火出見尊・火明命。旧村社。「三国名勝図会」は赤生木あこうぎ村の所属とする。かつては野間権現宮・野間嶽権現社などと称され、山頂に社殿が建立されていたが、創建の年代は不明。戦国時代に加世田に入った島津忠良が深く崇敬し、誓紙の神名にもなった。一説に忠良は、天文二三年(一五五四)に東宮を再建して瓊瓊杵尊・鹿葦津姫命の二座を、永禄一〇年(一五六七)に西宮を再建して火闌降命・彦火火出見尊・火明命の三座を勧請したといわれ、両部神道系の神社であったと考えられる。

野間神社
のまじんじや

[現在地名]今治市神宮

国道一九六号わきの鳥居からさらに南へ約一キロの位置にある。「延喜式」神名帳にみえる名神大社で、古くは野間天皇神、牛頭ごず天王ともよばれ、悪病除け開運の神として知られている。祭神は若弥尾命・飽速玉命・野間姫命・須佐之男命。奥院に「石神いしがみさん」として信仰される巨石がある。旧県社。

天平神護二年(七六六)従五位下の位階をうけ(続日本紀)、その後「三代実録」によれば、貞観三年(八六一)従五位上から従四位下、同八年従四位上から正四位下、同一二年正四位下から正四位上、元慶五年(八八一)正四位上から従三位と昇階している。この間、承和四年(八三七)には大山積神とともに南海道で初の名神となり、天慶三年(九四〇)には「去承平五年依海賊事被祈申十三社故也」(長寛勘文)として、正二位に叙せられている。

野間神社
のまじんじや

[現在地名]能勢町地黄

祭神は饒速日命ほか。旧郷社。「延喜式」神名帳の能勢郡に「野間ノマノ神社」と記される。布留ふる(摂津志・摂津名所図会)とも有無ありなし(摂陽群談)とも称された。江戸時代には野間諸村、地黄じおう村の産土神(摂津名所図会)。創建年代は不詳であるが、社伝などによると、推古天皇一三年(一説に天喜二年)大和の布留石上ふるいそのかみ神宮(石上神宮、現奈良県天理市)の石窟より、饒速日命の身にかけた八坂瓊の真勾玉二四一個を移して御霊代として社殿を建立したのに始まるという。

野間神社
のまじんじや

[現在地名]美浜町上野間 高川

尾張国神名帳に従三位上野間天神とあり、祭神宇麻志摩遅能命は野間連の祖先と伝え(天孫本紀)、摂社に八幡社・天王社・山神社。毎年年末年始にかけてのはだか祭神事は、大晦日夜八時から元旦にかけて執行する年越しの禊行事で、村の四二歳の男の厄落しである。

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デジタル大辞泉プラス 「野間神社」の解説

野間神社

愛媛県今治市にある神社。本殿裏に鎌倉時代後期に建てられた宝篋印塔があり、国の重要文化財に指定されている。

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