加世田(読み)かせだ

精選版 日本国語大辞典 「加世田」の意味・読み・例文・類語

かせだ【加世田】

鹿児島県、薩摩半島南西部の地名。戦国期、島津忠良(日新斎)の城下町焼酎(しょうちゅう)菓子生産で知られる。昭和二九年(一九五四市制

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デジタル大辞泉 「加世田」の意味・読み・例文・類語

かせだ【加世田】

鹿児島県、薩摩さつま半島南西部にあった市。平成17年(2005)11月、周辺4町と合併して南さつま市となった。→南さつま

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加世田」の意味・わかりやすい解説

加世田
かせだ

鹿児島県薩摩半島(さつまはんとう)南西部にあった旧市名(加世田市)。現在は南さつま市の中央部を占める。旧加世田市は1954年(昭和29)加世田町と万世(まんせい)町が合併して市制施行。2005年(平成17)川辺(かわなべ)郡大浦(おおうら)町、笠沙(かささ)町、坊津(ぼうのつ)町、日置(ひおき)郡金峰(きんぽう)町と合併し南さつま市となった。旧加世田市は南薩の政治・経済の中心地。南部は長屋山(513メートル)や蔵多(くらた)山(475メートル)などのある山地で、北に向かって加世田川が丘陵地、台地沖積平野を流れ、万之瀬(まのせ)川に合流する。北西部には吹上浜(ふきあげはま)砂丘の一部がある。国道270号が南北に、県道が東西に走る。1539年(天文8)島津忠良(ただよし)(日新公(じっしんこう))の城下町となった。忠良はよく家臣の団結統率にあたり、島津氏の基礎を固めたため、島津氏中興の祖といわれ、竹田神社に祀(まつ)られている。また、旧麓(ふもと)の武家屋敷がいまも多く残っている。

 工業では、九州一の製菓工場のほか、焼酎(しょうちゅう)工場、宝石研摩工場、クエン酸工場などがあり、農業は水稲作や、津貫(つぬき)地区を中心としたミカン栽培があり、砂丘地帯ではピーマン、ブドウ、ラッキョウなどがつくられる。特産品のいりこや「ちりめんじゃこ」を捕獲する沿岸漁業もある。観光地に吹上浜県立自然公園に入る新川海岸や万之瀬川渓谷があり、竹田神社の夏祭(7月23日)の稚児(ちご)踊・二才(にせ)踊は県指定無形民俗文化財。

[田島康弘]

『『加世田市誌』上下(1964・加世田市)』『『わたしたちの加世田市』(1965・加世田市)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加世田」の意味・わかりやすい解説

加世田
かせだ

鹿児島県南西部,南さつま市中央部の旧市域。薩摩半島の南西岸にある。 1954年加世田町と万世町が合体して市制。 2005年笠沙町,大浦町,坊津町,金峰町の4町と合体して南さつま市となった。中心市街地の加世田は旧城下町で,中世には別府氏が居城。天文8 (1539) 年以後島津日新斎が居城したが,藩の中心が鹿児島に移ってからもこの地方の中心として栄えた。主産業は農業で,米,カボチャ,ラッキョウ,チャ (茶) ,ミカン,スイカの栽培,和牛の飼育,養豚などが行なわれる。焼酎,デンプン,水飴などを製造。いりこ (炒子) やちりめんじゃこの原料を得るための沿岸漁業も行なわれる。万之瀬川と加世田川の合流点付近には縄文期の栫ノ原遺跡 (国指定史跡) がある。吹上浜は日本三大砂丘の一つで,石英質の白砂が美しく,吹上浜県立自然公園に属する。竹田神社は島津日新斎をまつり,7月 23日の士踊 (さむらいおどり) は勇壮である。

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改訂新版 世界大百科事典 「加世田」の意味・わかりやすい解説

加世田 (かせだ)

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