能勢郡(読み)のせぐん

日本歴史地名大系 「能勢郡」の解説

能勢郡
のせぐん

摂津国北東部の北摂山地に位置した郡。「和名抄」高山寺本に「ノセ」、東急本国郡部に「乃世」の訓がある。東は島下しましも郡、南は豊島てしま郡、西は川辺かわべ(現兵庫県)、北は丹波国の多紀たき郡・船井ふない郡・桑田くわた郡に接する。郡域は標高七〇〇メートルから四〇〇メートルの山地からなり、山田やまだ川・山辺やまべ川・大路次おおろじ川・田尻たじり川・野間のま川・余野よの川などに沿って狭小な盆地・河谷があるが、いずれの河川も猪名いな川に合流する。現在では、郡域は豊能とよの郡能勢町の全域と同郡豊能町の大部分にあたる。

〔古代〕

当郡の成立経過は「続日本紀」和銅六年(七一三)九月一九日条によると、大宝元年(七〇一)川辺郡玖左佐くささ村に初めて官舎が建てられ、雑務公文は一般の郡に准じて執行されることとなったが、和銅六年になって郡司が任じられて能勢郡が成立した。同書に能勢の地は「山川遠く隔たって、道路嶮難なり」と記されており、川辺郡の郡家から遠隔の地であるという地理的事情が背景となっていることが判明する。郡家が設けられた玖左佐村は、「延喜式」神名帳に載せられる久佐々くささ神社の鎮座地、現在の能勢町宿野しゆくの地区である。またこの村名は「日本書紀」雄略天皇一七年三月条に「摂津国来狭狭村」とみえ、土師連がこの村に所有していた土師の部民を朝廷に献上して贄土師部としたと記されている。「摂津国風土記」逸文に美奴売神の本拠が能勢郡美奴売みぬめ(現能勢町三草山)で、杉木を伐採して渡海船をつくったという説話を伝える。また「住吉大社神代記」によると、豊島郡城辺山の神領の四至東限は「能勢国公田」であり、能勢国北方深山を源流とする久佐佐川(現大路次川)は多抜山を流れ下り、西からきた美度奴みとぬ(現猪名川上流)宇禰野うねの(現兵庫県川西市畦野)で合して為奈いな河となると記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報