郷田村(読み)ごうだむら

日本歴史地名大系 「郷田村」の解説

郷田村
ごうだむら

[現在地名]江津市江津町

江川が日本海に注ぐ河口左岸に位置する。西は嘉久志かくし村、南は千金ちがね村、東方対岸渡津わたづ村との間に江川渡があり、河口部に港町が形成された。江川は郷川とも記されたから、江川の津の意で江津・郷津・江田とも称された。中世期すでに大陸貿易の基地としても知られていたようで、「海東諸国紀」に「戊子年遣使来朝、書称石見州北江津太守平朝臣吉久」とある。戊子年とは応仁二年(一四六八)とされるが、北江津の位置については江川河口部の郷津付近とみられるが異説もある。江川舟運の基地であり海陸交通の要衝である郷田村は江川を越えて幕府領(石見銀山領)に残され波積組に所属し、郷津口番所が置かれた。番所は対岸の渡津村との間の渡船場を見下ろす位置に置かれ、同心一名を常駐させて交通の取締と物資出入りの役銀徴収を行った。番所設置の時期は明らかではないが、現川本かわもと町の光永寺文書が「寛永元甲子年、御料内御役銀取立之御口屋始リ、川本村ハ矢谷ニ口屋始リ」と記しているから、郷津口番所の設置もその頃であろう。番所の日用経費や修復費用などを負担させるため添村を指定したが、郷津口番所には那賀郡の郷田村・渡津村・都治本つちほん郷、邇摩にま郡の波積北はづみきた村・波積南村の五ヵ村、高合一千五二一石余が指定された(宝暦三年「石見国郡中入用其外取計定書」重富家文書)。天明五年(一七八五)石見銀山領のうち江川以東の那賀郡一〇ヵ村と郷津口番所を除いた郷田村、そのほかなどが浜田藩へ移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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