那須郡衙跡(読み)なすぐんがあと

日本歴史地名大系 「那須郡衙跡」の解説

那須郡衙跡
なすぐんがあと

[現在地名]小川町小川 梅曾

那珂川とほうき川の合流点付近、那珂川右岸段丘最奥にある。遺跡地は古くから瓦を出土し、礎石が散在することから長い間梅曾うめぞ廃寺として知られていた。昭和一五年(一九四〇)畑地耕作中に銅印(国指定重要文化財、東京国立博物館蔵)が出土。同三〇年に小規模な発掘が行われたが、遺跡の性格を究明するに至らなかった。同四二・四三年の調査で当遺跡が大規模な官衙跡であることが確認され、同四四年、那須官衙跡の名称で国史跡に指定された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「那須郡衙跡」の意味・わかりやすい解説

那須郡衙跡
なすぐんがあと

古代下野(しもつけ)国那須郡の郡衙跡。栃木県那須郡那珂川(なかがわ)町小川(おがわ)の梅曽(うめそ)に所在する。1940年(昭和15)耕作中に偶然銅印(東京国立博物館蔵、重要文化財)が発見され注目された。この時点より「梅曽廃寺跡」と称されてきた。1955年(昭和30)、1966年、1967年、1968年、1969年、1975年と6回にわたって発掘調査され、四十数棟に及ぶ建造物跡が検出され、那須郡衙跡と推定されるに至った。また同時に、これらの遺構は、四至(しいし)限を溝によって区画された倉庫群の、いわゆる「倉院」と、この倉院の外にある倉庫形態とは異なった井戸をもつ掘立て柱建造物の一群との二ブロックに分かれることも明らかになった。また倉院についても、第一期と、それをさらに西に拡張した第二期の造営時期が認められる。1969年国史跡に指定。

大川 清]


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