那谷村(読み)なたむら

日本歴史地名大系 「那谷村」の解説

那谷村
なたむら

[現在地名]小松市那谷町

柴山しばやま潟に注ぐ動橋いぶりばし川支流の那谷川上流にあり、村域の約七割は丘陵である。北は二ッ梨ふたつなし村、東は能美のみ粟津あわづ村・馬場ばんば村。那谷寺の門前町的性格をもつ。奈谷・那他・那多とも書く。地名は「なたに」の転訛したものであろう。長寛元年(一一六三)原形が成立したとされる「白山之記」に白山宮加賀馬場の中宮「三个寺」の一つとして「那谷寺号岩屋寺」がみえる。「太平記」巻一八(先帝潜幸芳野事)に延元元年(一三三六)新田義貞に同調した白山本宮四社の衆徒が富樫介高家の籠る「那多ノ城」を攻撃しようとしたことがみえ、同書巻二〇(越後勢越々前事)では暦応元年(一三三八)七月新田義貞に加勢する越後の大井田氏経軍が南下するのを、「阿多賀・篠原の辺」で迎撃して敗れた富樫介高家が「那多城」に引籠った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報