遍明院(読み)へんみよういん

日本歴史地名大系 「遍明院」の解説

遍明院
へんみよういん

[現在地名]高野町高野山

宝善ほうぜん院の南東にある。かつては本中院ほんちゆういん親王しんのう院の北にあったが、明治末頃現在地に移った。本尊大日如来。準別格本山。寺伝によれば真如親王を開基とする。真如親王は法名を遍明といい、院号はこれに由来する。鎌倉時代の信堅院号帳に「遍明院・惣持院 惣持房の建立也」とあり、文明五年(一四七三)の諸院家帳には「聖仁喜見房和州人保延比人」とある。

遍明院
へんみよういん

[現在地名]秋穂町大字東 下村

秋穂町の中心秋穂浦の北に続くしも村にあり、高野山真言宗。竜光山と号し本尊阿弥陀如来。

寺伝によると、大内氏の家臣で、この地方の領主であった秋穂飛騨守盛治が父母菩提を弔うために、永禄五年(一五六二)に建立したといい、開山は重慶と伝える。初め盛光せいこう院と称したが、毛利輝元の夫人清光院の法諱と同音のため避けて遍明院と改めた。「注進案」によると本堂は桁行六間半、梁行五間で茅葺。ほかに庫裏が記される。

現秋穂町一帯から山口市名田島なたじま秋穂二島あいおふたじまにかけて秋穂八十八ヵ所とよぶ霊場が散在するが、これは遍明院八世の性海が、天明三年(一七八三)檀家の戎屋作右衛門とともに四国八十八ヵ所の霊場を巡り、各本尊の御符と敷地の砂を受けて持ち帰り、これを各所に配したものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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