日本大百科全書(ニッポニカ) 「蹴鞠(けまり)」の意味・わかりやすい解説
蹴鞠(けまり)
けまり
鞠を蹴る遊戯で、古くは「くえまり」といい、音読して「しゅうきく」ともいう。懸(かか)りと称する四隅にヤナギ、サクラ、マツ、カエデを植え、砂を敷き詰めた2丈四方(約3メートル平方)ほどの場所で行う。普通2人ずつ8人が前記の木の下に立ち、松樹の上鞠(あげまり)(上手の者)から順に掛け声とともに三度蹴って次に渡していく。服装は、平安時代には直衣(のうし)が主であったが、のち狩衣(かりぎぬ)から水干(すいかん)になった。
皇極(こうぎょく)天皇3年(644)正月に、中大兄(なかのおおえ)皇子、中臣鎌足(なかとみのかまたり)らが、法興寺で「打毱(だきく)」を行ったという『日本書紀』の有名な記事は、その古い例とみられる。延喜(えんぎ)(901~923)のころには王朝貴族の間で盛んに行われていたようであるが、院政期に至り賀茂成平(かもなりひら)、藤原成通(なりみち)といった名人が出るに及んで、技術、作法の整備が進んだ。鎌倉時代の初め、鞠の家として難波(なんば)、飛鳥井(あすかい)の両派が成立したが、室町時代に至って、蹴鞠が和歌と並ぶ風雅の道として称されるようになると、両家は幕府の師範としてその道の法式を確立した。現在も、京都の蹴鞠保存会などがその儀式を伝えている。
[杉本一樹]