走衆(読み)ハシリシュウ

デジタル大辞泉 「走衆」の意味・読み・例文・類語

はしり‐しゅう【走衆】

鎌倉・室町時代、将軍外出のとき、徒歩で前駆を勤め、警固に当たった者。かちの者。
江戸時代徒組かちぐみ組衆

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精選版 日本国語大辞典 「走衆」の意味・読み・例文・類語

はしり‐しゅう【走衆】

〘名〙 (「はしりしゅ」とも)
① 鎌倉・室町時代、将軍が外出する時、徒歩で随行し、前駆や警護をつとめた者。身体強健の者が任じられた下級の職。大名家などでも置かれた。御走衆。
※師守記‐暦応四年(1341)二月一〇日「三条坊門左武衛直義朝臣被八幡〈略〉牛飼三人〈二人直垂、走衆一人、二藍狩衣、重紅梅衣、遣車〉、雑色六人」
② 戦国時代、徳川家の若党の称。
※甲陽軍鑑(17C初)品一二「氏康にて手わき衆を家康ははしり衆と名付けてよぶげに候」
③ 江戸時代、徒組(かちぐみ)の組衆。
徳川実紀‐有徳院附録(1751)三「徒頭一人、組の走衆を引具して道路を警衛す」

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改訂新版 世界大百科事典 「走衆」の意味・わかりやすい解説

走衆 (はしりしゅう)

鎌倉・室町幕府の職名。将軍出行の際,徒歩で随行して,警固および諸雑用にあたる下級の職。徒士衆(かちしゆう),歩走(かちはしり)ともいい,江戸幕府における徒士組の起りといわれる。鎌倉将軍の上洛や出行などの供衆の行列の中に,しばしば〈歩走〉〈歩行衆〉とみえ,すでに鎌倉期の将軍出行に,徒歩で従う警固の士の存在がうかがわれるが,室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった。将軍の外出に際しては護衛として供奉(ぐぶ)し,つねにその身辺を警戒して狼藉(ろうぜき)者を取り締まる。烏帽子に素襖(すおう)を着し,繻子の脚絆をつけ,股立(ももだち)をとり,太刀をはき,夜には鉄むちを持った。身体強健にして武術に長じた者が選任されたが,伊勢,後藤,佐竹,小串,長,遠山,熊谷,富永などの中級御家人の一族の中から,この役についている者が多い。お供の人数は6名から18名とされ,将軍足利義教が赤松満祐邸で殺されたとき(嘉吉の乱)も,走衆は奮戦しその多くが討死している。
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世界大百科事典(旧版)内の走衆の言及

【小侍所】より

…小侍所には番帳が備えられ,ここから将軍出御の供奉人や弓始の射手などが選ばれた。小侍の配下には,恪勤(かくご),走衆や朝夕雑色(ちようじやくぞうしき),公人(くにん)雑色などが属して雑役などを務めたと考えられる。義教・義政期に整えられる奉公衆(番方)には小侍番の継承発展という性格が認められる。…

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