え‐ぼし【烏帽子】
〘名〙
① (「え
ぼうし」の変化した語。烏塗
(くろぬり)の
帽子の意) 元服した男子の用いたかぶりものの
一種。令制の朝服付属の冠に対し、貴賤の別なく、成人の男子の日常不可欠のかぶりものとされた。布帛
(ふはく)で柔らかに仕立てられたが、
貴族は威儀をととのえるために、薄く漆を塗って引き立てて用いたところから、立烏帽子といい、外出して風で頂辺が折れたことから風折
(かざおり)ともいった。平安末期から強装束
(こわそうぞく)の流行につれ、厚塗りとなって形式化し、塗りによって縁塗
(へんぬり)、さわし塗、きらめき塗などの別を生じた。大衆は従来の柔らかな仕立てで揉
(もみ)烏帽子、梨子打
(なしうち)烏帽子などとよんで用い、武士は細かく折った侍
(さむらい)烏帽子を常用した。鎌倉末期からいっそう形式化し、紙製が多くなり、皺
(しぼ)を設けた漆の固塗が普通となったため、日常の実用は困難となった。一般に儀礼の時のほかは室町末期から用いなくなった。
※平家(13C前)一「衣文のかきやう、烏帽子のためやうよりはじめて」
② 紋所の名。烏帽子の形をしたもので宮司
(ぐうじ)烏帽子、
侍烏帽子、立烏帽子など、種々ある。
※浄瑠璃・碁盤太平記(1710)「力彌とは、殿様のおきせなされしゑぼしぞや」
※雑俳・柳多留‐五二(1811)「耳に沓口にはゑぼし身に袷」
⑤ (烏帽子をかぶっているところから) えびす神の異称。
※雑俳・柳多留‐六一(1812)「頭巾をば六度ゑぼしは二度祭」
[語誌](1)江戸時代や明治時代には語頭字の
仮名遣いについて「え」か「ゑ」かという論争があったが、現在は「え」としている。
(2)中古の和文作品には「え(ゑ)ぼうし」という形の例が多いが、鎌倉時代の写本には「え(ゑ)ぼし」の形が見られ、その後次第に「え(ゑ)ぼし」の形が多くなり、「日葡辞書」にも「Yeboxi
(エボシ)」とある。
(3)「ゆぼし」「よぼし」ともいい、「斎帽子」から出た語といわれる。元来は祭事に関係ある神聖なもので、これによって一人前の男子として晴れの場所に出られる資格を得た。
え‐ぼうし【烏帽子】
※宇津保(970‐999頃)蔵開上「御みゑぼうしし給ひて」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
烏帽子
えぼし
古代以来の男性の冠物(かぶりもの)の一種。字義は黒塗りの帽子ということ。天武(てんむ)天皇11年(682)に漆紗冠(しっしゃかん)、13年に圭冠(はしばこうぶり)の制定があり、前者が平安時代の冠(かんむり)となり、後者が烏帽子になったといわれている。冠は公服に、烏帽子は私服に用いられた。形は上部が円形で、下辺が方形の袋状である。地質については、貴族は平絹や紗(しゃ)で製し、黒漆を塗ったもの。庶民は麻布製のものであったが、中世末期より、庶民はほとんど烏帽子をかぶらなくなり、貴族は紙製のものを使うようになった。
鎌倉時代に入り、上級の者は、上部を左側か右側に折り畳んでそれを風折(かざおり)烏帽子とか、平礼(ひれ)烏帽子とよび、以前のものを立(たて)烏帽子とよぶこととなって、正式のものとした。前部の押しへこませたところは、元来好みによって形づけられたが、近世になると形式的に固定化し、左眉(ひだりまゆ)(通常用)、右眉(上皇用)、片眉、諸眉(もろまゆ)(若年用)などの名がつけられ区別された。下辺の額のあたるところを丸く、後頭部を細くして先端をとがらせ風口(かざぐち)とよび、上方前部を「まねぎ」とよんだ。また生地の皺(しわ)を形式化して「さび」とよび、その大小によって大さび、小さび、柳さびといい、老年ほど大きく、また漆塗りのつやのあるのを若年用とした。烏帽子が固形化するとともに、頭から落ちないように掛緒(かけお)とよぶ紐(ひも)をかけた。これは、一般には、こよりを結び切りにして用いるが、勅許を得れば紫の組紐を諸(もろ)わなに結び、余りを長く垂らして用いることができた。
武士は行動の便宜上、風折よりもさらに折り畳んで形づくったものを侍烏帽子ともよび、好んで用いた。室町時代末になると、結髪の変化に伴い、さらに形式化され、髻(もとどり)を入れる部分が不必要となって、板状の三角形のものを立てるのみとなった。
[高田倭男]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
烏帽子
えぼし
日本の伝統的な男性用かぶりものの一種。烏色 (くろいろ) のかぶりものの意味で,中国唐代 (7世紀) の烏沙 (うしゃ) 帽に由来。天武 12 (683) 年にかぶりものに関する官制がしかれ,その際に圭冠ができたが,これが変化して烏帽子となり,平安時代以降,身分に関係なく日常的に着用された。黒の羅,紗,絹,麻などの布を袋形につくり,後頭部の内側に組緒をつけて,かぶるときに整える。公家は宮中出仕以外の日常これをかぶるが,五位以上は立 (たて) 烏帽子,以下は頂を折り曲げた風折 (かざおり) 烏帽子を用い,武家の社会では引立 (ひきたて) 烏帽子,侍 (さむらい) 烏帽子という独特のものを生じた。さらに室町時代末には形式化された納豆 (なっとう) 烏帽子が現れたが,動作の不便さからやがて露頂へと移り,その後,烏帽子は儀式用と化した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル大辞泉
「烏帽子」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
烏帽子【えぼし】
男性のかぶり物の一種。公家(くげ)・武家の平服用,庶民の外出用などに広く用いられた。もとは黒漆塗の絹紗(けんしゃ)や麻製でしなやかであったが,平安末にはかたく塗りかため,紙で張るようになった。立(たて)烏帽子,風折(かざおり)烏帽子,侍(さむらい)烏帽子,揉(もみ)烏帽子などがある。
→関連項目髪結|鉢巻
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
えぼし【烏帽子】
日本における男子の被り物の一種で,早く奈良時代から着用され,江戸時代に至った。天武天皇のとき漆紗冠(しつしやかん)と圭冠(けいかん)の2種ができたが,この圭冠が後世の烏帽子の祖であると古くからいわれている。中国でも4世紀ころから絹紗(けんしや)を用いてつくった紗帽(さぼう)があり,上下一般に用いられてきたが,こうした慣習が日本に流入したものと考えられる。日本では推古天皇のときに定められた冠制以来,官吏は結髪して冠することになったが,この男子の結髪の風習が一般庶民に普及するに及んで,帽子をかぶる習慣もしだいに広くなった。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内の烏帽子の言及
【被り物】より
…漆で塗り固めた極端に様式化したものである。直衣(のうし)が着用されるようになると,奈良時代の圭冠から烏帽子(えぼし)が生まれ,公家武家ともに用いた。もとは黒の紗,絹などで髻(もとどり)をそのままにしてかぶれるように,柔らかく袋状に作った日常的な被り物であったのが,平安時代になって黒漆塗りのものとなり,後代にはもっぱら紙で作られるようになった。…
【晴着】より
…つまり現代の脱帽の礼の中に,晴着の着帽の礼が残っているわけである。男子の元服を烏帽子(えぼし)着,〈よぼしぎ〉という風はほとんど全国的であるが,烏帽子は斎(いみ)帽子でこれをつけることは,神事に参与する一人前の資格のできたことを意味していた。ところが今日の帽子は,多くの場合これを取り去るのが礼儀である。…
※「烏帽子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報