豊後高田(市)(読み)ぶんごたかだ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊後高田(市)」の意味・わかりやすい解説

豊後高田(市)
ぶんごたかだ

大分県北部、国東半島(くにさきはんとう)西部にある市。1954年(昭和29)高田町が呉崎(くれさき)村を編入、のち豊後高田町と改称、さらに田染(たしぶ)村を編入して市制施行。2005年(平成17)真玉町(またままち)、香々地町(かかじちょう)を合併。高田の名は、鎌倉初期高田氏の支配にちなむ。開析火山、国東半島の南西部を流れる桂(かつら)川や、その北の真玉川、臼野(うすの)川、竹田(たけだ)川などの谷をほぼ市域とする。国道213号が通じ、鉄道はJR日豊(にっぽう)本線宇佐駅が近い。桂川下流の高田は、1594年(文禄3)竹中1万5000石入封、その府内転封後松平氏入封、さらに1645年(正保2)その杵築(きつき)転封後廃藩。1669年(寛文9)島原松平氏の陣屋が置かれて、半島の西半を支配した。明治以後も西国東地方を管轄する諸行政機関が桂川右岸の城跡とその付近の玉津台地上に置かれ、同左岸の高田は西国東地方を後背地とする商業地域である。農業は桂川の谷の米作が主で、呉崎干拓地のネギ、スイカなどの野菜栽培も知られる。田染の富貴寺大堂(ふきじおおどう)は平安後期の建築で、内陣壁画を有する国宝真木大堂(まきおおどう)は国指定の重要文化財仏像9体を蔵する。熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)(国重要文化財・史跡)は高さ8メートル、日本で最大級と称される。天念寺修正鬼会(しゅじょうおにえ)は国指定重要無形民俗文化財。面積206.24平方キロメートル、人口2万2112(2020)。

[兼子俊一]

『酒井富蔵著『豊後高田市誌』(1957・国東半島文化研究所)』『『豊後高田市明治百年』(1968・豊後高田市)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例