讃良氷室跡(読み)さららひむろあと

日本歴史地名大系 「讃良氷室跡」の解説

讃良氷室跡
さららひむろあと

古代、畿内近国に設けられた氷室の一つで、「延喜式」(主水司)に「河内国讃良郡讃良一所、四丁輸一駄」とみえ、讃良氷室は二室あり、「氷池」は五八所在するという。養老年号をもつ平城宮出土木簡に「更浦氷所」とあるから、この氷室は奈良時代前半からすでに設置されていた。所在地はむろ池一帯と考えられており、讃良郡内にはほかに有力な比定地はない。讃良氷室がいつ頃まで使われたかはわからないが、中世後期にも主水司領として禁裏に氷を貢納していたとみられる。またその管理も代々主水正をつとめた外記清原氏があたっていたが、「康富記」嘉吉二年(一四四二)一一月二九日条に「次清大外史之訴訟、河内国(更)占氷室事者、遣召文於結城方畢」、文安元年(一四四四)八月二七日条に「河内更占氷室混甲可郷結城重真押領事、度々及訴陳」とみえ、甲可こうか郷を給地とする結城氏が、更占さらら氷室は甲可郷内だとして押領することがあり、清原氏との間でたびたび訴訟沙汰になっていることが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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