識名村(読み)しちなむら

日本歴史地名大系 「識名村」の解説

識名村
しちなむら

[現在地名]那覇市識名しきな一―四丁目・識名・繁多川はんたがわ一―四丁目・真地まあじ三原みはら三丁目

国場くくば村・上間ういーま村の北に位置し、西は与儀ゆーじ村・松川まちがー村など、北は首里城下に接する。村域はほぼ台地上にあり、小字識名原しちなばるに集落が形成されていた。真和志まーじ間切の主邑。絵図郷村帳・琉球国高究帳の真和志間切に村名がみえ、高究帳によると高頭三七七石余、うち田二六八石余・畠一〇九石余。村には「上具志堅屋比久殿」「下具志堅殿」とよばれる拝所があり(琉球国旧記)、また村の南東、上間村を流れる国場こくば川に架けられた板敷いたじち(一日橋)には康熙二八年(一六八九)建立の「板敷橋記」碑が残され、その碑文に「具志堅邑之東」とあることなどから、識名村には「具志堅村」の村名が伝承されている(識名誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報