言語相対仮説(読み)げんごそうたいかせつ(英語表記)linguistic relativity hypothesis

最新 心理学事典 「言語相対仮説」の解説

げんごそうたいかせつ
言語相対仮説
linguistic relativity hypothesis

知覚概念推論などを含む思考の諸相は言語によって決定されるという仮説。ウォーフの仮説Whorf hypothesisあるいはサピア-ウォーフの仮説Sapir-Whorf hypothesisともいう。言語は世界を語や文法カテゴリーによって多様に切り分ける。この多様性が直接的に認識の違いに反映されるのか否かということは,人の思考を特徴づけるうえで非常に大きな問題となる。ウォーフWhorf,B.L.(1956)は,この世界は「さまざまな印象の変転きわまりない流れ」であり,それを体系づけるのが言語だ,と述べた。つまり,言語こそがつかみどころのない世界を整理する唯一の手段で,思考は言語と切り離せないと考えたのである。ウォーフはアメリカ先住民のホピ族の言語の分析などを基に,ホピ語と英語をはじめとする標準西洋言語standard western languageとの間の言語の隔たりは,「埋めることのできない,翻訳不可能なincommensurable」深い溝であると主張し,物議を醸した。

 言語相対仮説の論争の中で最も注目されているのは,色の名前と色認知の関係である。パプアニューギニアのダニ族の言語では,二つしか色の名前がない。この言語を話す人たちは,われわれにとっての赤,黄色,橙色(オレンジ色)など,名前で区別しない色を皆「同じ色」と認識し,区別しないのだろうか。最初にこの疑問に答えようとしたのは,典型性理論の提唱者であるロッシュRosch,E.(Heider,E.R.ともいう)である。彼女は,ダニ語話者に色相彩度明度の3次元で色を等間隔に細かく分けた,マンセルMansel,A.H.によるマンセル・カラーチップを次々に見せた。その後,さっき見たチップの再認テストをした。もしダニ語話者が,名前で区別しない色を皆「同じ」と思うなら,さっき見た色は皆同じ色として混同されてしまうはずだ。しかし実際には,ダニ語話者は見せられた色に対して英語話者と遜色ない記憶を見せたのである(Heider,1972)。

 また,ダニ語話者に,英語で基礎語の名前をもつ色の典型色と非典型色(たとえば典型的な緑色と非典型的な緑色)に対して,実際には存在しない名前を教え,覚えるように指示したところ,英語の基礎語の典型色に対して付けられた色の名前は容易に覚えたが,非典型色に付けられた名前はよく覚えられなかった。このことから,人の色の感じ方は言語にかかわりなく共通であり,英語話者が典型的であると思う色は,どの言語を話す人にとっても最も目立つ「典型色」であり,自分の言語では区別をしなくても,心は区別する,とロッシュは結論した。

【言語相対仮説の再解釈】 ロッシュの研究によって,言語相対仮説は否定されたかのように思われた。しかしその後,ロッシュの結論がいささか単純にすぎることを示した結果も多数報告された。たとえば青と緑を区別しない言語は非常に多く存在する。文化人類学者のケイKay,P.は,メキシコの先住民の言語の一つであるタラウマラ語を母語とする人たちと,英語を母語とするアメリカ人が,前述のマンセルのシステムで少しずつ異なる色同士の類似性をどのように判断するかを調べた。われわれ「緑」と「青」を区別する言語話者にとっての「緑」と「青」の間にある色を基準にして,等距離にある二つの色票を選び,基準とどちらがより似ているかを,アメリカ人とタラウマラ族の人たちに判断してもらった。すると,言語の影響が見られたのは,実は緑と青を区別しないタラウマラ族の人たちではなく,緑と青を別の色として区別するアメリカ人だ,ということがわかった。英語話者は,基準の色票を「緑」と判断すると,緑側にある色票を,基準をはさんで等距離の,しかし「青」と判断される色票よりも,基準により似ていると判断した。他方,緑と青を区別しないタラウマラ語話者は,もともと基準から等距離にある二つの色票を基準と同等に似ていると判断した。つまり,ことばが範疇知覚categorial perception(カテゴリー知覚)を作り,モノの認識をことばのカテゴリーの方に引っ張る,あるいは歪ませてしまうということがこの実験からわかったのである。

 色知覚に関する言語相対仮説の研究はその後も活発に行なわれているが,普遍性と言語相対性を単純には決定できないことが示されており,言語と思考の関係の研究は,普遍的概念の存在と個別言語の影響を同時に想定し,相双の相互作用を探究する方向に進んでいる(Saalbach,H.,& Imai,M.,2007)。

【範疇知覚の発達形成】 成人の認識が思考のさまざまな側面で言語による影響を受けるとすると,その影響が発達的にはどのように現われるのかというのは重要な問題である。一般的に言語による範疇知覚は,さまざまな領域で非常に早い発達段階で見られる。たとえば,乳児は誕生時には世界の言語で存在するすべての音素(母音,子音)を聞き分けることができるが,1歳くらいになると母語で区別しない音素が弁別できなくなる。この母語で区別しない知覚の範疇への注意の喪失は概念の領域でも見られる。たとえば,英語ではモノ同士の接触関係を,一方(ground)が他方(figure)をサポートする関係(ON)か,一方が他方を包含する関係(IN)かで区別する。それに対し,韓国語ではfigureがgroundに対してぴったり(日本語の「はめる」に当たる)フィットしているか,ルーズな関係(日本語では「入れる」)にあるかで語を使い分ける。英語を母語とする乳児も,当初は韓国語児と同様ぴったりフィットとルーズな接触関係を区別するが,しばらくするとこの関係を区別しなくなることが報告されている。

【言語による認識の形成】 子どもの思考の発達にとって,言語はどのような働きをするのかという観点から,言語相対仮説は認知発達の分野でも注目されている。幼児はモノをグループに分けるように言われると,「サルとバナナ」のような連想関係にあるモノ同士を基準にしたカテゴリーを作る傾向にある。しかし,モノにラベル(名前)が付けられ,それと同じラベルでよばれるモノを探すときには,他の知覚次元への注意を抑制して形のみに注目してカテゴリーを作ることができ,形の類似性に基づいたカテゴリーを分類学的関係によるカテゴリー形成に発展させていくことができる。また,同じラベルを共有するモノ同士は重要な属性を共有するという信念をもち,これにより概念を構築することができる。ことばはモノのカテゴリー形成に限らず,モノ同士の抽象的な関係概念の形成にも大きな役割を果たすことがわかっている。たとえば「同じ所」という場所関係を,子どもは当初「同じモノがある所」のように,モノの属性に頼って理解するが,「上」「下」などの位置関係概念を表わす語を学ぶことによって,「位置関係の同一性」を認識することができる。このように,言語は子どもの思考の発達と非常に深い関係があり,このことをもって言語相対仮説への支持と考える研究者は多い。

【言語相対仮説の研究の流れ】 言語は対象や出来事の知覚,記憶に大きな影響を与えることが明らかになっている。現在,言語相対仮説に対する研究の流れは,単に言語が異なると思考が変わるか否かという観点による問題意識からは離れており,言語の影響が知覚,記憶,検索,意思決定など認知活動のどの局面でどのようにかかわってくるのか,また脳の情報処理におけるどの時点で言語情報がアクセスされ,ほかの経路からの情報処理とどのように統合されているのかなど,オンラインの情報処理における言語の役割の解明という方向に向かっている。 →言語人類学
〔今井 むつみ〕

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