西神野村(読み)にしごうのむら

日本歴史地名大系 「西神野村」の解説

西神野村
にしごうのむら

[現在地名]野津町西神野にしかみの

垣河内かきがわち村の北方ニガキの台北麓にある。北西流する臼杵うすき川最上流部の南西岸に位置し、対岸東神野ひがしこうの(現臼杵市)。延徳四年(一四九二)一一月一日の野津院西神野村神領坪付(広田文書)に「西神野邑」とみえる。これは当地の神野宮(現熊野神社)の神領とみられ、天正(一五七三―九二)初年と推定される年未詳一一月三日の奈多鑑基書状(同文書)では神領の代々免除と検断不入および社職が広田筑後守に安堵されている。

西神野村
にしかみのむら

[現在地名]関市西神野

津保つぼ川右岸にある山村小野谷おのだに川が流れ、村の東部で津保川に合流する。武儀むぎ郡に属し、西は小野おの村。もとは八社大明神社を八神やかいとよんだため、八神村と称したという(新撰美濃志)。文禄三年(一五九四)の深尾左助外二名連署状(岸文書)に「西神野村」とみえ、村内のしんそう山は年貢五升と定められた。関ヶ原の合戦前は上有知こうずち(現美濃市)の佐藤氏の所領で、戦後は金森長近領となるが、幕府領を経て、元和元年(一六一五)尾張藩領となり、幕末に至る。慶長郷帳では村高三九七石余。正保郷帳では田方二九七石余・畑方八六石余、山年貢一二石余、ほかに新開四石余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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