西植田村(読み)にしうえたむら

日本歴史地名大系 「西植田村」の解説

西植田村
にしうえたむら

[現在地名]高松市西植田

池田いけだ村の南に位置し、北部は上佐うわさ山の南麓が広がり、南部には藤尾ふじお山・女体によたい山・明神みようじん山などの山地が連なり、山間の谷筋から春日かすが川支流の神内じんない川・葛谷かずらたに川が北流する。その間の平地に集落が発達した。平地部の西に神内池、東に松尾まつお池がある。古代の山田郡殖田うえた(和名抄)の遺称地。応安二年(一三六九)四月五日に神内妙福みようふく寺の僧が造立したとの銘がある鐘が、現在和歌山県伊都いと高野こうや本覚ほんがく院にある。「讃岐国名勝図会」によれば、同鐘は延宝年中(一六七三―八一)神内談義所(蓮華院)地中から掘出され、藤尾ふじお八幡宮に収められたとある。明治維新まで同社所蔵であったが神仏分離の際売却されたという。鎌倉から戦国時代にかけて神内城・植田城・稗田ひえだ城に植田氏や一族の神内氏が拠った。

西植田村
にしうえたむら

[現在地名]豊橋市植田うえた

東植田村の西に続く。寛永六年(一六二九)検地のとき東西の植田村にわかれたという(野依村来由記)。三河国吉田領人馬役割帳(島原市本光寺蔵)に載る慶長九年(一六〇四)の検地では「野寄村」内で一三二石余を検出。寛延三年(一七五〇)の西植田村差出帳(西植田区有)によると村高三六一石余うち畑方一九八石余。戸口は八三戸、三〇九人、うち男一四一・女一六八。二川ふたがわ宿の助郷村である。

天保一三年(一八四二)小商い許可願(西植田区有)によると、村内無高の者のあめ・菓子・ぞうり・わらじ・やき餅など小商いの許可を願い出ている。嘉永四年(一八五一)には鰯商いの許可願(同区有)が出されており、「右者当村与七・利右衛門与申者、居酒売申候間并弁当之菜ニ而茂鰯商致候間、乍恐奉御願申候」などとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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