西寺尾村(読み)にしてらおむら

日本歴史地名大系 「西寺尾村」の解説

西寺尾村
にしてらおむら

[現在地名]神奈川区西寺尾一―四丁目・松見まつみ

東と南は東西子安こやす村、北は東寺尾ひがしてらお村・馬場ばば(現鶴見区)、西は菊名きくな(現港北区)に接する。正保国絵図に寺尾村、元禄国絵図では東・北・西の寺尾村と馬場村とがみえ、この間に分村したと思われる。

中世は寺尾郷のうち。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)に「寺尾地頭阿波国守護小笠原蔵人太郎入道」とある。永禄六年(一五六三)八月一日、北条氏は前年分の懸段銭二貫二〇〇文と検見を中止する代りの当年増分一貫一〇〇文を加えた合計三貫三〇〇文の懸段銭の納入を命じた(「北条家朱印状写」県史三)

西寺尾村
にしでらおむら

[現在地名]長野市篠ノ井西寺尾

善光ぜんこう寺から南に向かう松代まつしろ道に沿う村。千曲川に架けられた川中島かわなかじま橋を挟み、村域はその東西に分れて広がる。北は小島田おしまだ村、西は下布施しもぶせ村、南は杵渕きねぶち村、東は旧千曲川河道を境に東寺尾ひがしでらお村・松代町に接する。千曲川は村の中央を北流し、川西おか神明しんめい、川東に柳島やなぎしまの集落がある。寺尾の地名は東福とうふく寺の下流にあたるところにちなむという。

この地は和名抄の「池郷」にあたり、「延喜式」神名帳記載の「頤気神社」は柳島に鎮座し、祭神は池生命である。また「神鳳鈔」に「富部御厨八所」とある富部御厨の領域は、戸部とべ村から東福寺村・西寺尾村・杵渕村を含み、当村のおかの神明宮は富部御厨の神庫と伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報