篠ノ井地区(読み)しののいちく

日本歴史地名大系 「篠ノ井地区」の解説

篠ノ井地区
しののいちく

長野市南部に位置し、千曲川を隔てて南は更埴こうしよく市、東は長野市松代まつしろ町、西は丘陵地帯で長野市信更しんこう町、北は平坦地続きで長野市川中島かわなかじま町と接し、善光寺平ぜんこうじだいら南部の中心地域である。平坦部は千曲川・さい川・ひじり川の作った沖積地で、千曲川沿岸には自然堤防が発達する。伊勢宮いせみや遺跡は善光寺平における弥生式時代稲作栽培の発源地である。西部の丘陵面にはおよそ六キロにわたって古墳群が分布し、前方後円墳三基・前方後方墳一基などもあって有力な首長の存在をうかがわせる。

「日本後紀」延暦一八年(七九九)一二月条に「信濃国人外従六位卦婁真老・後部黒足・前部黒麻呂・前部佐根人・下部奈弖麻呂・前部秋足(中略)累世平民、末改本号、伏望依天平勝宝九歳四月四日勅、改大姓者、賜真老等姓須々岐、黒足等姓豊岡、黒麻呂姓村上、秋足等姓篠井」とあるが、この中の前部秋足は篠ノ井の住人と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報