西別所村(読み)にしべつしよむら

日本歴史地名大系 「西別所村」の解説

西別所村
にしべつしよむら

[現在地名]袋井市山科やましな

周知すち郡に所属。宇刈うがり丘陵より南西に延びた尾根の先端部に立地する。東は堀越ほりこし村。江戸時代を通して別所村と称するが、東方に同名村があるため西別所と通称した。正保郷帳に別所村とみえ、田方二二七石余・畑方一九石余、山王領五石・長言寺(現廃寺)領一石、幕府領。元禄一一年(一六九八)旗本鍋島領となり、幕末に至る(袋井市史)。元禄郷帳では高二八七石余。「遠淡海地志」によれば家数二〇。鍋島氏の陣屋があった(「西別所村絵図」日吉家文書)。東海道袋井宿の助郷に出役(木野家文書)

西別所村
にしべつしよむら

[現在地名]桑名市西別所

現桑名市の西部にあり、稗田ひえだ村の北に位置する。東南端は町屋まちや川に臨み、北部は丘陵地。村の南部を濃州(員弁)街道が東西に通る。「教王経開題愚草」(宝生院経蔵図書目録)の奥書には「文和五年二月二日、於勢州桑名庄西別所草庵、午刻書写畢」とあり、当時草庵があったことが知られるが、これは延寿えんじゆ(現延寿院)前身と推定される。

西別所村
にしべつしよむら

[現在地名]安城市西別所町

東別所村に隣する。天保郷帳にはないが、三河国石高帳に二八石とある。寛延二年(一七四九)牧内まきうち新田九五石九斗余のうち三三石を加えるなどして、明和七年(一七七〇)一一七石余となる。このような小集落が一村として扱われたのは、やはり万歳師の村としての特別な恩典を認められたゆえと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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