別所城跡(読み)べつしよじようあと

日本歴史地名大系 「別所城跡」の解説

別所城跡
べつしよじようあと

[現在地名]豊松村下豊松

川東かわひがしにある独立小丘陵上にあり、おんまるともよばれる。所在地は川東・中筋谷なかすじだに追谷おいだになどの沃野集落を押える要衝である。丘陵頂上を二段に削平し、空堀をめぐらした典型的な土居形式の城で、「西備名区」は城主として内藤左馬允・新左衛門尉実盛の名を伝える。上豊松新庄山かみとよまつしんじようやま城を本拠とする内藤氏の一族であろう。

別所城跡
べつしよじようあと

[現在地名]久留米市御井町

中世城郭の跡。高良こうら山頂(三一二・三メートル)付近に築かれた。毘沙門岳びしやもんだけ城ともいう。延文四年(一三五九)の筑後川合戦で征西将軍宮懐良親王の本陣になったという(筑後将士軍談)。室町期、筑後守護職を得た大友氏の領国化のうえで高良山は重要な拠点で、寛正六年(一四六五)筑後国人の黒木氏・三池氏が筑後守護職を回復しようとする肥後菊池氏に通じて蜂起した際、「別所城」は反大友軍の攻撃の対象となったようである。大友氏被官の志賀親家は当城を救援、寄せ手の菊池為安その他を討取る戦功をあげている(応仁二年八月一七日「大友親繁書状」志賀文書/熊本県史料 中世篇二など)

別所城跡
べつしよじようあと

[現在地名]亀山市和田町

上城うえじようの別所山に、別所筑前守の居城跡があったという(五鈴遺響)。「伊勢峯軍記」にも、永正年間(一五〇四―二一)の亀山城をめぐる争いで、和田村が前進基地的な役割を果した記述があり、ここに砦が築かれていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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