補陀寺跡(読み)ふだじあと

日本歴史地名大系 「補陀寺跡」の解説

補陀寺跡
ふだじあと

[現在地名]土成町秋月

御嶽おみたけ山南麓、秋月あきづき城の近くに位置した臨済宗寺院。南明山安国補陀禅寺・安国補陀寺などと称され、阿波国の安国寺とされたほか(光勝院縁起略)、諸山の寺格も与えられた(扶桑五山記)。近接して光勝こうしよう院・宝冠ほうかん寺が建立された。光勝院は当寺の後身ともいわれ、のち板野郡萩原はぎわら(現鳴門市)に移されて同地に現存している。

阿波州安国補陀寺仏殿梁牌(夢窓国師語録拾遺)に「阿波州安国補陀寺仏殿」とみえ、暦応二年(一三三九)八月に足利尊氏が造立し、開山は夢窓疎石とされている。しかし夢窓疎石は招請開山で、実際には細川和氏が秋月府内南明山に建立し、和氏の五男、細川頼之の猶子笑山周を開山としたという。また足利尊氏の保護を受け、同年阿波国の安国寺に指定されたとされる(光勝院縁起略)。ただし「夢窓国師語録」「阿波志」は翌三年の創建と伝える。安国寺とともに建立された利生塔切幡きりはた(現市場町)に建てられた(贈僧正宥範発心求法縁)。康永元年(一三四二)夢窓疎石の招聘により大道一以が入寺し(禅林僧伝)、以後、黙翁妙誡大岳周崇・鉄舟徳済・観中中諦などが住持となったという(「夢窓国師語録」「阿波志」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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