蘇原御厨(読み)そはらのみくりや

日本歴史地名大系 「蘇原御厨」の解説

蘇原御厨
そはらのみくりや

蘇原庄ともいう。安元二年(一一七六)二月の八条院領目録(「山科家古文書」内閣文庫蔵)に「伊勢国蘇原」とみえる。建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)には「蘓原御厨二宮御領 領家八条女院」とみえ、二宮領であった。同注文によれば当御厨は康和三年(一一〇一)八月二一日の宣旨によって建立年限・四至・田畠本数を検注し、供祭物済数を注進して、永久三年(一一一五)六月一七日の宣旨によって認可されており、成立は康和三年以前にさかのぼる。

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百科事典マイペディア 「蘇原御厨」の意味・わかりやすい解説

蘇原御厨【そはらのみくりや】

伊勢国一志(いちし)郡にあった伊勢神宮領の御厨(みくりや)。蘇原荘とも。現在の三重県三雲町(現・松阪市)曾原(そはら)が遺称地。1176年の八条院領目録に〈伊勢国蘇原〉,1192年の伊勢大神宮神領注文に〈蘓原御厨〉とみえる。神領注文によれば内宮・外宮の二宮領,領家は八条院で,成立は1101年以前。鎌倉時代の《神宮雑例集》にも二宮領,南北朝時代の《外宮神領目録》に外宮領,《神鳳鈔》に内宮領としての記載がある。《神鳳鈔》によると田積は62町余で,別に神田9町。地頭職は1196年山城国笠置寺に寄付され(《笠置寺縁起》),領家職は後宇多院から昭慶門院伝領された。1453年には北畠氏の家臣家城(いえき)兵庫が代官であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「蘇原御厨」の意味・わかりやすい解説

蘇原御厨 (そはらのみくりや)

伊勢国一志郡に成立した伊勢神宮(内・外宮)領御厨。建久3年(1192)8月の伊勢大神宮神領注文(《神宮雑書》)に,〈蘇原御厨二宮御領。領家八条女院〉と見える。この注文によれば,同御厨は康和3年(1101)8月21日付宣旨をうけて四至・田畠本数を検注のうえ供祭物の済数を注進し,永久3年(1115)6月17日付の宣旨を下給されている。なお領家職は八条院領であったが,嘉元4年(1306)の昭慶門院領目録では,後宇多院から昭慶門院へ伝領されている。神宮領としては,なお《神宮雑例集》《神鳳鈔(じんぽうしよう)》《外宮神領目録》等々に見え,6,9,12月の三節祭に米,塩を供進していることがわかる。また享徳2年(1453)11月の三郡内神税徴納注文(《伊勢神宮引付記録》)によれば,このころ,伊勢国司北畠氏の家臣家城(いえき)兵庫による代官請が成立している。
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世界大百科事典(旧版)内の蘇原御厨の言及

【員弁[町]】より

…三重県北部,員弁郡の町。人口8776(1995)。北東部の養老山地西麓の扇状地と南西部の員弁川沿いの沖積平野からなり,集落は南西部の河岸段丘上に発達する。中心集落の楚原は中世には伊勢神宮領の曾原御厨が設けられた所で,明治に入って員弁郡役所が置かれ,現在も員弁郡の中心となっている。基幹産業は農業で,米作を中心に養鶏,畜産が行われている。近年,上笠田地区に工業団地が造成され,工業開発とともに都市近郊農村への脱皮がはかられている。…

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