一志郡(読み)いちしぐん

日本歴史地名大系 「一志郡」の解説

一志郡
いちしぐん

面積:四六七・八四平方キロ
香良洲からす町・三雲みくも村・嬉野うれしの町・一志いちし町・白山はくさん町・美杉みすぎ

県中央部に位置し、東から伊勢湾岸の香良洲町、沖積平野部の三雲村・嬉野町と続き、一志町・白山町は段丘や丘陵地、美杉村は山岳地帯となる。ほぼ中央を西南山岳地帯から東北に雲出くもず川が流下し、東北端に至って久居ひさい・津両市との境界をなす。北は雲出川と布引ぬのびき山地の山裾によって久居市に接し、西は布引山地、西南は室生むろう火山群によって名賀郡、名張なばり市、奈良県宇陀うだ郡に接する。南は高見山地の連峰によって飯南いいなん郡に境し、東南は一志山地によって松阪市と境している。東端は雲出川・三渡みわたり川河口で伊勢湾に達する。ほぼ全域が雲出川水系に属し、上流から中流にかけての支流八手俣はてまた川・ふじ川・垣内かいと川・大村おおむら川・弁天べんてん川・波瀬はぜ川・中村なかむら川が布引・大洞おおぼら・一志・高見山地に大小の渓谷を形成する。西南端の名張川上流域と東南端の三渡川下流域だけが水系を異にしている。雲出川下流域は広大な沖積平野となり、一志米で知られる県下有数の米作地帯を形成する。

雲出川は古来大和国より伊賀を経て伊勢ないし東国へ至る交通路にあたっていた。名張から布引山地を越える幾つかの通路は時代によって変遷はみられるが、原始時代から古代・中世・近世を通じて伊勢参宮などに利用され、国道一六五号・同二三号に至る今日までなお幹線道路としての地位は失っていない。現在、郡のほぼ中央を国鉄名松線、北部を近鉄大阪線、東部を国鉄紀伊本線、近鉄名古屋線が走り、いずれも松阪市へ通じる。

郡名は「古事記」孝昭天皇段に「兄天押帯日子命は、(中略)伊勢の飯高君、壱師君、近淡海国造の祖なり」とあり、壱師君の本貫地に由来するものであろう。「続日本紀」天平一二年(七四〇)一一月二日条に「壱志郡」とあり、「和名抄」にも「壱志」とある。平城宮出土木簡には「一之郡」とみえる。平安末期に至って、「太神宮諸雑事記」の康平三年(一〇六〇)八月三日条に「伊勢守義孝(中略)為検田入部一志郡之処、郡司伊元宿禰之住宅焼払已了」とあり、現表記があらわれる。以後、建武三年(一三三六)二月二一日の石塔義慶奉書(熊野速玉神社文書)に「一市郡」などとあるが、おおむね現表記が定着し、壱志郡も併用された。

〔原始〕

先土器時代の遺跡に一志町の下名倉しもなくら遺跡・田尻上野たじりうえの遺跡がある。下名倉遺跡からはナイフ形石器が発見されており、郡内最古の遺跡である。田尻上野遺跡では先土器時代終末期から縄文時代にかけての有舌尖頭器が出土し、縄文時代の石鏃もみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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