藤坂村(読み)ふじさかむら

日本歴史地名大系 「藤坂村」の解説

藤坂村
ふじさかむら

[現在地名]枚方市藤阪ふじさかもと町一―三丁目・西にし町・きた町・なか町・みなみ町一―三丁目・ひがし町一―四丁目・天神てんじん町〉・王仁公園わにこうえん長尾元ながおもと町一丁目・長尾東ながおひがし町一―三丁目・長尾台ながおだい一―二丁目・同四丁目・杉北すぎきた町一丁目・山田池やまだいけ公園こうえん南町東町

交野かたの郡に属し、東高野街道の支道山根やまね街道に沿い、生駒山地の西部延長部の麓に位置する。村の南端津田つだ村との境を穂谷ほたに川が西に流れる。北は田口たのくち村・長尾村藤阪宮山ふじさかみややま遺跡からは先土器時代の細石器・石核が出土した。永禄二年(一五五九)八月二〇日付交野郡五ケ郷惣侍中連名帳(三之宮神社文書)に「藤坂村」とみえる。

藤坂村
ふじさかむら

[現在地名]篠山市藤坂

小原おばら村の北にあり、大芋おくも川支流の藤坂川が流れる。中世藤坂庄とみえ、真如しんによ妙見堂(国指定重要文化財)や、大谷おおたにに中馬氏が拠点としたという白藤しらふじ城の跡、お田植祭で知られた梅田うめだ春日神社がある。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「藤坂村」とみえ、高三〇〇石余。正保郷帳では田高二七二石余・畠高二八石余。「丹波志」では大芋庄のうちで、高三六一石余。明和二年(一七六五)の麦菜種茶麻損毛改帳(高橋家文書)に麦一一五石余・茶一一六本半などとあり、四月の雹で作物は皆無同然であるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報