藤原生子(読み)ふじわらのいくし

朝日日本歴史人物事典 「藤原生子」の解説

藤原生子

没年治暦4.8.21(1068.9.20)
生年:長和3.8.17(1014.9.13)
平安中期,後朱雀天皇の女御。父は藤原教通,母は藤原公任の娘。寛仁2(1018)年着袴,御匣殿別当となる。父教通が早くから望んだにもかかわらず,入内は長暦3(1039)年,生子が26歳のときであった。同年,正五位下,女御となる。和歌や書にも巧みで天皇に寵愛されたが,父教通と伯父頼通の軋轢もあり,立后は実現しなかった。寛徳1(1044)年,従三位。翌2年,天皇が崩じてのちは,仏事に専心したという。永承1(1046)年,正二位。同5年,従一位に至るが,天喜1(1053)年に出家した。

(西村さとみ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原生子」の解説

藤原生子 ふじわらの-せいし

1014-1068 平安時代中期,後朱雀(ごすざく)天皇の女御(にょうご)。
長和3年8月17日生まれ。藤原教通(のりみち)の長女。母は藤原公任(きんとう)の娘。長暦(ちょうりゃく)3年(1039)入内(じゅだい)。梅壺女御,弘徽殿(こきでんの)女御とよばれる。伯父(おじ)頼通の反対で立后はされなかった。従一位,准三宮(じゅさんぐう)。治暦(じりゃく)4年8月21日死去。55歳。名は「なりこ」「いくこ」ともよむ。

藤原生子 ふじわらの-なりこ

ふじわらの-せいし

藤原生子 ふじわらの-いくこ

ふじわらの-せいし

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「藤原生子」の解説

藤原生子 (ふじわらのせいし)

生年月日:1014年8月17日
平安時代中期の女性。後朱雀天皇の女御
1068年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報