蕨野村(読み)わらびのむら

日本歴史地名大系 「蕨野村」の解説

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]飯山市大字豊田とよた

関田せきだ山脈ほとけみねの東南麓、運上うんじよう(今井川)の西岸、外様平とざまだいら北部にあって関田峠道の入口に立地、東は曾根そね村、南は瀬木せき村に接する。

慶長九年(一六〇四)四月一五日付の佐久間孫兵衛判物(飯山八幡文書)に、飯山城代皆川広照が「水内みのち常葉ときわ郷」の諸社に寄進した神領のうち「わらひの関山壱石也」とあるのが初見。また、同一四年一一月一八日付飯山城代皆川広照の代官とみられる「山惣左代、□□次左衛門」の飯山飯加佐山八幡の神官大和殿宛寄進状「飯山領宮免事」(小川文書)に「高壱石蕨野村」とあり、「石見殿(大久保長安)より御祈進に御座候間、我等も如前々」と元どおり高一石を安堵した。

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]静岡市蕨野

安倍川上流沿いに位置し、南は相淵あいぶち村。右岸に標高三一三メートルの茂山が突き出ているため、当村上手で安倍川は大きく蛇行している。付近の山肌は急峻で大規模な土砂崩れがあったことを示している。永禄一〇年(一五六七)一〇月に安倍川中流やその支流の中河内なかごうち川・西河内川流域の諸村を書上げた貫高注文写(宮本勉氏所蔵文書)に「三百文 蕨野村」とみえる。広域地名としての安部山あべやまに属すると思われる。領主は安西外あんざいそと新田と同じ。慶長九年(一六〇四)には高七石余、家数九といわれ(大河内村誌)、村高は変化なく幕末に至る(元禄郷帳など)

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]温海町山五十川やまいらがわ

五十川中流域左岸にあり、右岸の実俣さねまた村と対する。地内楯平たてだいらに天正一六年(一五八八)の本庄重長父子庄内攻略の際、蕨野の戦が行われたとされる蕨野館跡がある。ねずせき大庄屋佐藤家の先祖書に「二男与三太郎 蕨野之戦ニ討死ス」とあり、「奥羽永慶軍記」にも同合戦の記述がある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一五四石余。寛永三年庄内高辻帳では高一五七石余。正保郷帳によると田方一二九石余・畑方二二石余。弍郡詳記では免七ツ七分、家数三九。寛政八年(一七九六)の漆木数覚(温海文書)では二千二六〇本を栽培。天保一三年(一八四二)の温海組小商体之者書上帳(同文書)によれば、すか糸中買商・米買出商・煙草類受商の三人が焼印札(許可証)を願出ている。

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]香北町蕨野

物部ものべ川南岸の小村で、上流北東に離れて永瀬ながせ村、下流南西に白石しらいし村、対岸清爪せいづめ村。河岸段丘上端の山麓沿いに集落をなす。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には「蕨ノ村」として一一筆三町一反五代が記されるが、うち蕨野名・蕨野分として「蕨野孫左衛門扣」が九筆、「白石分 山崎藤大夫給 先善兵衛分」が二筆。蕨野孫左衛門は隣の白石村などでも蕨野分を扣地とする名主的農民で、蕨野の土居に住んでいたらしい。

元禄地払帳によると本田高三〇・九四石はすべて福岡図書の知行地

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]輪島市美谷町みたにまち

光浦ひかりうら村の南西、七見ひつみ川中流左岸の山間部に立地。正保郷帳に村名がみえ、高一二六石余、田方二町六反・畑方五町八反余。承応三年(一六五四)の村御印では同高、免五ツ七歩(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一三二石、免六ツ二歩、小物成は山役一二七匁・漆役一五匁・蝋役六匁(三箇国高物成帳)。山間の村で田地が少なく畑作に頼る割合が多く、その割に年貢率が高いため、寛政一一年(一七九九)一ツ一歩の引免を受けた。

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]野津町落谷おちだに 蕨野

黒土くろつち村の南、野津川流域にある。同川は当村内で西から北へと大きく曲流して沖積地をつくる。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には蕨野村が黒土村など七ヵ村分と一括された一冊が含まれ、村位は下。同一一年の惣御高頭御帳では川登かわのぼり村のうちに含まれる。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば「下地かうや村」共の本高六六石余・出来高八石余、田方三四石余・畑方四〇石余、日損所と注記される。

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]水俣市わらび

陳内じんない村の北部、南面するなだらかな台地にあり、南は田平たびら村、東部は縄文・弥生・古墳時代の遺跡の多い陳内のうち北園きたぞの上野うえんのなどが隣接し、古くから集落が発達したと思われる。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳に「水俣内陳内村」の小村として「わらひの村」の名がみえ、屋敷数五、男一六・女一二、牛二が記される。

蕨野村
わらびのむら

[現在地名]柿崎町蕨野

北東は吉尾よしお(現柏崎市)、南西は大平おおだいら(現同上)に接する。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「柿崎分斉藤分わらひの村 下」とあり、本納・縄高分は不分明だが、家一〇軒・一三人とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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