蔵内村(読み)くらうちむら

日本歴史地名大系 「蔵内村」の解説

蔵内村
くらうちむら

[現在地名]青谷町蔵内

養郷ようごう村の南、日置ひおき谷中央部の東山麓に位置し、南は早牛はやうじ村、西は日置川を挟んで大坪おおつぼ村。拝領高は三七四石余、本免は五ツ六分。藪役銀八匁二厘を課せられ(藩史)、米子荒尾分家の荒尾氏、中村氏・岡本氏、西館家家臣の若林氏・川尻氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」では家数五〇。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によると生高四一五石余、竈数五一。宝暦一二年(一七六二)七月と八月の大洪水では当村および田原谷たわらだに村で四人の死者がでている(藩史)

蔵内村
くらうちむら

[現在地名]栄町蔵内

鴨池かもがいけ村の西にあり、北は入蔵にゆうぐら村・入蔵新田(現三条市)と接する。村内からは平安時代須恵器土師器が出土している。天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)に仁科孫太郎知行分として村名がみえる。近世を通じて新発田藩領で、慶長三年(一五九八)頃の御領内高付帳(新発田市史資料)には「によふ村」など五村と並記され、二千三九七石三斗七升とある。同一〇年の給知方村々高目録(同資料)では毛付二九六石一斗余・荒一四一石二斗余。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)によれば九軒で計一石五斗の炉役を負担。

蔵内村
くらうちむら

[現在地名]清川村六種むくさ

小原おはる村の南西奥岳おくだけ川西岸にある。正保郷帳に村名がみえ、田高一九石余・畑高一四石余、宇田枝うたえだ郷に属し、柴山有、日損所と注記される。「豊後国志」では村名を倉内と記す。旧高旧領取調帳では高五二石余。

蔵内村
くらうちむら

[現在地名]倉吉市蔵内

大宮おおみや村の西方小鴨おがも川左岸に位置する。拝領高は一四二石余、本免は五ツ四分。臼井氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高一五〇石余、竈数一五、村内に荒神を祀る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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