蒔田村(読み)まいたむら

日本歴史地名大系 「蒔田村」の解説

蒔田村
まいたむら

[現在地名]南区えのき町一―二丁目・宿しゆく町一―四丁目・共進きようしん町一―三丁目・中島なかじま町一―四丁目・花之木はなのき町一―三丁目・蒔田町東蒔田ひがしまいた町・宮元みやもと町一―四丁目

東は堀之内ほりのうち村、西は下大岡しもおおか村、南は丘でおか(現磯子区)、北は大岡川を境に井土いど村・太田おおた村と吉田よしだ新田村に接する。大岡川上流は下大岡村境を流れて吉田新田村に達する。川幅約一〇間。応永二四年(一四一七)九月三日の忍祐田畠安堵状(県史三)に「蒔田郷(中略)右、花の木かいと」、永禄五年(一五六二)□月二〇日付蒔田百姓小串新兵衛等寄進状(同書)に「蒔田之郷花の木谷之事」とある。小田原衆所領役帳に関兵部丞「此外八拾七貫文岡郷買得蒔田領ニ付而着到以下迄無役」とみえる。

近世は幕府直轄領、正徳二年(一七一二)旗本大久保領との二給となる。田園簿には日損場として高三二一石余、うち田二四六石余・畠七五石余、ほかに塩五六俵とあり、元禄四年(一六九一)蒔田村御年貢割付(横浜開港資料館蔵)には、田三〇町五反余、畑一一町四反余。

蒔田村
まきたむら

[現在地名]金木町蒔田

大倉おおくら岳に源を発する金木川右岸の自然堤防上にあり、東は金木村、西は神原かんばら村、北は藤枝ふじえだ村、西北は豊島としま(現中里町)、南西は岩木川で繁田しげた(現西津軽郡稲垣村)に接する。

金木新田一八ヵ村の一つで、「平山日記」享保一二年(一七二七)に「下六蒔田村元川口村改名」とあり、もとは川口かわぐち村といったとある。しかし正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎いなか郡の新田に「苻田村」とあり、高一三石とある。同年の津軽郡之絵図によれば、金木村から中里なかさと(現中里町)への道から分れて左手に「苻田村」があるが、これが蒔田村をさすかは不明。

蒔田村
まいたむら

[現在地名]秩父市蒔田

田村たむら郷の北東に位置し、村域は当地で荒川左岸に注ぐ蒔田川の下流域に展開する。南東は寺尾てらお村、西は品沢しなざわ村、北東は荒川を境に黒谷くろや村。美濃国「蒔田」の里から稲穂を持来って蒔いたことから地名が生じたとの伝説がある(増補秩父風土記)。田園簿には高二九二石余・此永一八貫四〇八文とあり、幕府領。寛文三年(一六六三)忍藩領となる。

蒔田村
まいたむら

[現在地名]四日市市蒔田まきた一―四丁目・川北かわきた一丁目・松寺まつでら三丁目

松寺村の南、東海道に沿ってある。江戸時代を通じて桑名藩領。文政一〇年(一八二七)の桑名領郷村案内帳によれば、免七ツ一分。戸数四〇、人数一九〇。寺院は長明ちようめい(浄土真宗本願寺派)。神社は神明、相殿の春日・八幡、山神。ほかに観音堂。東海道に架かる土橋二。寛政八年(一七九六)の朝明郡絵図控(豊田次男氏蔵)によると、用水は朝明あさけ川より取水している。

蒔田村
まいたむら

[現在地名]笹神村蒔田

北は発久新ほつきゆうしん村、東は笹岡ささおか町、西は野村新のむらしん村に接する。正保国絵図に村上藩領として村名が載り、貞享元年(一六八四)郷村高辻帳には高一四七石七斗余とある。宝永四年(一七〇七)頃の山崎組御巡見御案内帳(渡辺家文書)によれば高二四四石余・田畑反別一九町四反余、家数一三、男四二・女三七。寛保二年(一七四二)の高辻并小物成諸色上納物明細帳(同文書)によれば、小物成として大豆・稗・糠などを上納している。

蒔田村
まくだむら

[現在地名]下館市蒔田

勤行ごんぎよう川左岸に位置し、東は羽方はがた村。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏領となり、江戸時代は寛永一九年―寛文三年(一六四二―六三)の在番時代を除き、下館藩領。元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)に、村高六九一・〇一八石とあり、天保八年(一八三七)の常陸御国絵図御改之記(同文書)には、鎮守鹿島明神、家数三一、馬一三とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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