葉郷(読み)くすはごう

日本歴史地名大系 「葉郷」の解説

葉郷
くすはごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「久須波」と訓ずる。「日本書紀」崇神天皇一〇年九月条に樟葉とみえ、武埴安彦の乱に際して敗軍の兵士が恐怖のあまり「屎が褌より漏ちた」のでそこが屎褌くそばかまといわれたが、のちに樟葉とよばれるようになったという地名起源説話を記す。「古事記」は久須婆くすばとし、ここに「久須婆之わたり」という渡場があると述べる。淀川渡船場であるが、同書安康天皇段には「玖須婆の河」とある。

葉郷
ならはごう

「和名抄」所載の郷で、訓を欠き、高山寺本では猶葉と記される。岩城家譜(寛政重修諸家譜)によれば、永暦元年(一一六〇)没の岩城隆行の長男隆祐が楢葉太郎を称したとある。「大日本地名辞書」は富岡とみおか村・上岡かみおか(現富岡町)竜田たつた(現楢葉町)にあたるとし、「即、木戸川以北、熊川以南の地なり。富岡郡山こほりやま大字あるは、即旧郡家の遺名にして、中古分郡の時に、楢葉郡司の治所なりしを知る」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報