荒久遺跡(読み)あらくいせき

日本歴史地名大系 「荒久遺跡」の解説

荒久遺跡
あらくいせき

[現在地名]中央区青葉町

みやこ川により形成された千葉寺ちばでら谷に西面する標高二二―二四メートルの台地上の遺跡。昭和六二年度―平成元年度の三次にわたる発掘調査で旧石器時代から中世近世に及ぶ複合遺跡であることが明らかとなった。旧石器時代の文化層のうち上層(立川ロームIII層)は細石刃石器群など二ブロック、中層(IV層)は剥片製ナイフ形石器を主体として石斧を伴うブロック一ヵ所、下層(IX層)は剥片製小型ナイフ形石器を主体とする石器群を三ブロック検出した。

荒久遺跡
あらくいせき

[現在地名]市原市惣社

上総国分寺の東にある奈良・平安時代の集落跡。昭和四七―四八年(一九七二―七三)の調査で竪穴住居跡約二八〇軒、掘立柱建物跡四棟などが検出された。出土遺物には奈良三彩・緑釉陶器灰釉陶器などの仏具関係、金光講院・四院・薗など国分寺関連の多くの墨書土器がある。竪穴住居最古でも国分寺関連集落として出現したことは確実であるが、八世紀中頃近くまでさかのぼる住居はなく、寺の造営に関連した集落ではなかろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報