花咲村(読み)はなさくむら

日本歴史地名大系 「花咲村」の解説

花咲村
はなさくむら

[現在地名]片品村花咲

幡谷はたや村の北に位置し、ぬり川および支流綱沢つなざわ川沿いに鍛冶屋かじや栃久保とちくぼ登戸のぼつと山崎やまざき栗生くりうの集落がある。南に赤倉あかくら山、北に武尊ほたか山・前武尊がそびえる。「郡村誌」に「村中ニ花咲石アリ、依之村名起リシト云」とあり花咲石について「里伝ニ、古昔此石ニ花咲シト云、(中略)竪七尺周囲二丈五尺」と記す。所在地は登戸。栗生を西へ行くと花咲峠(背嶺峠)で、峠越えで木賊とくさ(現川場村)と結ばれる。この道は会津道の一で、永禄一二年(一五六九)沼田顕泰勢が川場かわばから当地に至ったのもこの道であった。「加沢記」には白井路しろいみち峠越とあり、「万鬼斎(顕泰)白井路峠に暫御休有て峨々たる岩を詠め給、岩の中より生出ける古木の松有り此松をつくつくと御覧有て、扨も宜松哉自世に有時ならは千貫文の領知にも替かたしと被仰けれは、其時より此松を今の世上千貫松と申也」と記す。木賊からはこれとは別の峠越えの道がいま一つあり、これを千貫せんがん峠越とよんだとも伝える。この千貫峠にも同様の地名伝説がある。花咲峠越の道は川場方面からの峠越えのなかでは最も北を通るもので、案外楽な道で里人や旅人もこの道を選んで越えたようである。

花咲村
はなさきむら

[現在地名]大月市大月町花咲

桂川を挟んで大月村の西にあり、同村とは大月橋(供養橋)で結ばれる。なお「甲斐国志」は村名の由来について、供養くよう橋の東の桜の大木から花にちなむ地名が採られたという説を伝える。東流する笹子ささご川が桂川に合流する地点にあたり、黒野田くろのた村から当地までの笹子川沿いの人家の多い地域を川辺かわべ通ともいっている。郷村帳類では一村であるが、実質的には上花咲・下花咲の二村に分れ、享保五年(一七二〇)の村明細帳(星野奇家文書)は両花咲村の名で名主二名・組頭四名の名が記されている。上・下のそれぞれに甲州道中の宿が置かれた。観応二年(一三五一)二月一六日、足利尊氏は勲功の賞として島津氏一族の周防次郎忠親に対して「甲斐国花崎郷」の依田将監跡を宛行っている(「足利尊氏充行状」文化庁所蔵島津文書)

花咲村
はなさきむら

[現在地名]根室市花咲港はなさきみなと

明治五年(一八七二)から同三九年までの根室国花咲郡の村。根室郡穂香ほにおい村・根室村の南、昆布盛こんぶもり村の東、根室半島の南側に位置し、太平洋に面して花咲港がある。近世にはネムロ場所のうち。明治五年にハナサキを包含してハナサキ村が成立(「事業報告」第一編)。「根室国地誌提要」に村名がみえるが、花咲郡の七村はすべて夏期昆布刈取に根室郡より漁民が出張するだけで人家はなかったとある。同八年村名表記が花咲村に改められた(開拓使根室支庁布達全書)。冬期は根室港が流氷のため結氷して使用不能になり、代りに結氷しない花咲港が使われた。同年花咲海岸通に税庫が、同一二年に船舶改所とその倉庫が造られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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