船橋遺跡(読み)ふなはしいせき

日本歴史地名大系 「船橋遺跡」の解説

船橋遺跡
ふなはしいせき

[現在地名]藤井寺市船橋町・北條町・大井三丁目・同五丁目、柏原市古町二―三丁目

大和川と石川の合流点の下流五〇〇メートル付近から、さらに下流四〇〇メートルの範囲の河床および河川敷に広がる縄文時代から鎌倉時代に及ぶ遺跡。昭和三一年(一九五六)から三五年にかけて調査が行われ井戸・柵列・掘立柱建物などの遺構が検出されたほか、一部の地区では古墳時代須恵器土師器を含む五層の堆積が認められ、また別の地区では七世紀後半と八世紀前半の包含層から多くの須恵器や土師器が検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「船橋遺跡」の意味・わかりやすい解説

船橋遺跡
ふなはしいせき

大阪府柏原(かしわら)市古町と藤井寺市船橋に属する複合遺跡。18世紀初め、大和(やまと)川の流路改修が行われた結果、河床が破壊され、縄文時代以降の各種の遺物・遺構が露呈するに至った。1951年(昭和26)の寺跡などの遺構調査、1956年から1960年の遺構分布調査が大阪府教育委員会によって行われた。飛鳥(あすか)・奈良時代の寺院跡のほか、弥生(やよい)時代の墓、古墳時代の住居、古代・中世の集落遺構が、東西約1キロメートルの範囲に分布していた。調査に伴って、縄文時代晩期の船橋式土器、須恵器(すえき)出現前後の土器、奈良時代の土器などについて、その組成と編年案が提示され、畿内(きない)の土器研究に新知見を加えた。河床のため、遺構の大部分は調査後に流失した。

[原口正三]

『『大阪府の文化財』(1962・大阪府教育委員会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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