舟町(読み)ふなまち

日本歴史地名大系 「舟町」の解説

舟町
ふなまち

[現在地名]桑名市春日かすが町・みや町・ほん

本町の北にあるが、六区に分れ散在する町屋敷地。慶長の町割に際して、船大工が居住する大工だいく町ができ、それを中心にして付近を舟町と総称した。東舟ひがしふな町・中舟なかふな町・北舟町・本舟ほんふな町・西舟町・新舟しんふな町の六区に分称するが、中舟町の一部は「白須賀屋と云へる鮓屋あり、其外鮓屋多し」(久波奈名所図会)ゆえに鮓横すしよこ町と俗称する。また剃刀かみそり瀬古・くら瀬古の小名がある。剃刀瀬古とは道幅が細長いので名付けられた。元禄家帳(「桑名市史」所収)では家数五九。小町にもかかわらず、石取神事には七両の車を出しており、享和二年(一八〇二)の石取神事車順番には、二番大工町・一二番新舟町・一六番西舟町・一七番東舟町・一八番中舟町・一九番北舟町・二〇番舟町とみえる(久波奈名所図会)

舟町
ふなまち

[現在地名]中津市中津 船町ふなまち

古魚ふるうお町の北に続き、西は古博多ふるはかた町、東はさくら町。両側約一町の商店街。享保四年(一七一九)の軒数五八・竈数七四。前年大火では潰家一軒のみで難を免れた(惣町大帳)。宝暦一三年(一七六三)三月一日夜九つ半時分、当町札之辻横町から出火、当町五五竈を焼き、付近一帯二八一竈を焼く大火となった。天明三年(一七八三)四月九日にも当町より出火し、当町二一・桜町六など二九軒を焼失している(中津歴史)

舟町
ふなまち

[現在地名]小倉北区京町きようまち二丁目・船頭町せんどうまち浅野あさの一丁目

東曲輪の北端むらさき川河口の右岸にあり、北側は海(玄界灘)に面する。船頭町の北側に東西に連なる町並で、街路の両側に船方屋敷が並ぶ。もとは小舟町と称したという(小倉市誌)。正保城絵図(国立公文書館内閣文庫)では船頭町の北と東に水手町とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報