脇野町村(読み)わきのまちむら

日本歴史地名大系 「脇野町村」の解説

脇野町村
わきのまちむら

[現在地名]三島町脇野町

北流するくろ川と西から東へと流れる小木城おぎじよう川の合流点左岸、信濃川と支流黒川・小木城川による沖積低地千石原せんごくばら丘陵が緩やかに傾斜して低地と接する辺りに集落がある。東は中条なかじよう村、北は藤川ふじかわ村・気比きいみや村、南は吉崎よしざき村。吉河よしかわ樽井たるい郷に属したと伝える。北東方剣峰けんがみね越の道により出雲崎いずもざき(現出雲崎町)方面と与板よいた(現与板町)長岡方面が結ばれる交通の要地。元和二年(一六一六)高田藩領。天和元年(一六八一)幕府領となる。貞享二年(一六八五)稲葉氏の高田藩領となるが、この時は刈羽郡柏崎(現柏崎市)の陣屋付の村になったと伝える(大津郷土誌)。その後稲葉氏の佐倉・淀移封によりそれぞれの藩の越後支領となる。稲葉氏は元文元年(一七三六)当地に陣屋を設置して三島郡内八三ヵ村を支配。天明六年(一七八六)稲葉氏が越後支領を幕府領と替地したことにより再び幕府領となり幕末に至る。正保国絵図には高五八一石余。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高七〇〇石九斗余で「此所一ケ月二六日宛市立、但、駅馬、長岡ヘ通路」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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