美濃村(読み)みのむら

日本歴史地名大系 「美濃村」の解説

美濃村
みのむら

[現在地名]米子市二本木にほんぎ

蚊屋かや村の北東、日野川と佐陀さだ川に挟まれた平野にある。村名は三野みのみのとも記され、「和名抄」記載の会見あいみ美濃郷の遺称地。古代から中世にかけて日野川は東から西に流路をしだいに変え、とくに天文一九年(一五五〇)と元禄一五年(一七〇二)の大洪水で川筋が大きく西に移った。古代の美濃郷は、日野川本流と支流に挟まれた地域であったと想定される。平安時代末期には伊勢内宮領三野御厨が成立した。天正一九年(一五九一)一二月二〇日の伊勢大神宮神田注文(蚊屋島神社文書)には、大神宮(現日吉津村蚊屋島神社)の神田作人として「ミの神主」がみえ、また「ミのノ神主居」の屋敷一所が記される。

美濃村
みのむら

[現在地名]塩田町大字五町田ごちようだみなみ辺田へたたに熊野くまの

現塩田町の西部に位置し、塩田川の南にある。慶長絵図に村名がみえ、「美野」とも記す。藩政時代は蓮池はすのいけ領に属し、塩田郷美濃村とよばれた。明治四年(一八七一)五町田村・ふくろ村と合して五町田村となる。

昭和三〇年(一九五五)道路工事の土取り作業中、殿屋敷とののやしきとよばれる低台地の崖端から滑石製経筒が発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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