緒方知三郎(読み)オガタトモサブロウ

デジタル大辞泉 「緒方知三郎」の意味・読み・例文・類語

おがた‐ともさぶろう〔をがたともサブラウ〕【緒方知三郎】

[1883~1973]病理学者東京の生まれ。東大・日本医大教授。東京医大学長。唾液腺内分泌カシンベック病老人病などの研究業績がある。文化勲章受章。著「病理学総論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「緒方知三郎」の意味・読み・例文・類語

おがた‐ともさぶろう【緒方知三郎】

医学者。東京に生まれた。緒方洪庵の孫。東大卒。東大教授、東京医大学長などを歴任。唾液腺内分泌、老人病などの研究で知られる。明治一六~昭和四八年(一八八三‐一九七三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「緒方知三郎」の意味・わかりやすい解説

緒方知三郎
おがたともさぶろう
(1883―1973)

病理学者。東京生まれ。1907年(明治40)東京帝国大学医科大学を卒業、同大学助手となり病理学教室に勤務。1910年ドイツに留学、主としてアショフについて病理学を研究、1913年(大正2)帰国、母校助教授となった。翌1914年、主論文『輸精管結紮(けっさつ)およびイクテローゲン中毒に際する肝硬変および黄疸(おうだん)の発生』で医学博士号を得た。1923年病理学教授に就任、1943年(昭和18)までその任にあった。この間、脚気(かっけ)の本態に関する研究、唾液腺(だえきせん)の内分泌機構の発見、カシン‐ベック病の究明パロチン唾液腺ホルモン剤)の精製、老人性変化の本態の研究に力を注ぎ、1944年には唾液腺の研究で帝国学士院恩賜賞受賞した。東大退官後、東京医科大学学長兼理事長、日本学士院会員、日本医科大学教授、老人病研究所長などを歴任、1957年には文化勲章を受章した。著書に『病理学総論』『病理学入門』などがある。

[大鳥蘭三郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「緒方知三郎」の意味・わかりやすい解説

緒方知三郎 (おがたともさぶろう)
生没年:1883-1973(明治16-昭和48)

大正・昭和期の病理学者。唾液腺ホルモン(パロチン)の研究で知られる。東京生れ。緒方洪庵直系の孫。東大卒後病理学教室に入り,渡独ののち東大助教授を経て1923年教授。ビタミンB欠乏症,糖代謝異常,カシン=ベック病,老年病など広範な研究を展開。〈唾液腺の内分泌に関する研究〉で学士院恩賜賞(1944)を受け,のち文化勲章受章(1957),学士院会員となる。東大退官後,東京医科大学学長兼理事長,日本医科大学の老人病研究所所長などを歴任,医学教育と研究につとめた。病理学,病理組織学の教科書《病理学総論》(三田村篤四郎と共著)をはじめ《常用医語事典》の編集など編著書も多く,趣味としての奇術もまた素人の域を越えるものだった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「緒方知三郎」の意味・わかりやすい解説

緒方知三郎
おがたともさぶろう

[生]1883.1.31. 東京
[没]1973.8.25. 東京
病理学者。緒方惟準の3男。 1908年東京帝国大学医科大学卒業,ただちに病理学教室に入り,10年から3年間ヨーロッパに留学。 23年東京帝国大学教授となった。ビタミン欠乏症や内分泌の研究を行い,唾液腺ホルモンのパロチンを発見した。 43年に東京大学を退官後,老年病理学の研究を始め,54年に財団法人老人病研究会を設立。 68年には日本医科大学にそれを移管し,老人病研究の先鞭をつけた。 46~52年東京医科大学学長。 44年帝国学士院の恩賜賞を受賞。 57年文化勲章受章。主著『病理学総論』。余技の奇術研究も有名で,アマチュアマジシャンズクラブの創始者

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「緒方知三郎」の解説

緒方知三郎 おがた-ともさぶろう

1883-1973 大正-昭和時代の病理学者。
明治16年1月31日生まれ。緒方惟準(これよし)の3男。ドイツ留学後,大正12年東京帝大教授。唾液腺(だえきせん)内分泌や老化機構などの研究で知られる。退官後東京医大初代学長,老人病研究所長などをつとめた。昭和19年学士院恩賜賞,32年文化勲章。昭和48年8月25日死去。90歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「病理学総論」「病理学入門」など。

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