経ヶ峰(読み)きようがみね

日本歴史地名大系 「経ヶ峰」の解説

経ヶ峰
きようがみね

[現在地名]仙台市霊屋下

広瀬川右岸で、越路こえじ山の一部として半島状に突き出た丘陵地をいう。鎌倉期、聖徳一世に聞えた満海が当地で修行し、没後ここに経典を納めたことから地名があると伝え、隻眼の藩祖政宗は片目の満海の生れ変りという伝説がある。慶長(一五九六―一六一五)の初め仙台城構築のため、その地にあった虚空蔵堂と同別当の曹洞宗大満だいまん寺は当地に移転され、万治二年(一六五九)二代藩主忠宗の霊廟感仙かんせん殿造営のために愛宕あたご山に移るまでここにあった。政宗死去の寛永一三年(一六三六)瑞鳳ずいほう寺が建立され、同一四年その廟所瑞鳳殿を竣工

経ヶ峰
きようがみね

大台おおだいはら山の西の入口にあり、三津河落さんづこおち山の西方に続く山。標高一五二八・九メートル。経ヶ峰のすぐ西には、湛西が怪物を封じ込めた時経文を埋めたと伝える経塔塚の小ピークがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報