上北山村(読み)かみきたやまむら

日本歴史地名大系 「上北山村」の解説

上北山村
かみきたやまむら

[現在地名]大江町本郷ほんごう

月布つきぬの下流左岸に形成された広い河岸段丘と、その北に続く丘陵とを村域とする。集落は丘陵端につながり、集落西をくら沢が南流して月布川に合流する。枝郷は諏訪原すわのはらで、のちに道路沿いに望山ぼうやま梨木原なしのきばらが分村となった。東に下北山村、西の月布川曲流部に滝野沢たきのさわ村がある。最上氏領から元和八年(一六二二)左沢藩領となり、寛永八年(一六三一)幕府領庄内藩預地、翌九年庄内藩領、慶安二年(一六四九)松山藩領となる。天明五年(一七八五)から三年間幕府領で、同八年再び松山藩領となり幕末に至る。寛永検地では高二九二石余(最上記)正保郷帳では田方一七八石余・畑方三五石余。元禄左沢水帳(阿部文書)では正保郷帳と田畑高は同じで、反別は田八町六反余・畑二町三反余、屋敷一九軒。持高は最高二八石で、一〇石以上四人、五石以上一六人、五石以下一一人で、九人は屋敷がない。

上北山村
かみきたやまむら

面積:二七三・五二平方キロ

郡の南東部を占める。西は天川てんかわ大塔おおとう・十津川各村、南は下北山村、北は川上村に接し、東は和歌山県と三重県の一部に境する。西境には大峰山脈の山々がそびえ、天川村境には国見くにみ(一六五五メートル)行者還ぎようじやがえり(一五四六・二メートル)弥山みせん(一八九五メートル)、十津川村境には仏生ぶつしようヶ岳(一八〇四・七メートル)、南境には小峠ことうげ(一〇九九・一メートル)があり、北境には奥吉野と口吉野を境する伯母峰おばみね峠、伯母ヶ峰(一二六二メートル)きようヶ峰(一五二八・九メートル)三津河落さんづこおち(一六五四メートル)、東の三重県境には大台おおだいはら山の日出ひでヶ岳(一六九五メートル)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上北山村」の意味・わかりやすい解説

上北山〔村〕
かみきたやま

奈良県南東部,北山川上流域にある村。村名は紀州本領の北にあることから北山と呼ばれ,江戸時代に北山上組と称されたことにちなむ。村域のほとんどが山林で林業が中心。北部大台ヶ原山西部大峰山脈で,山岳美,渓谷美に富み,1961年大台ヶ原ドライブウェー開通によって観光地化した。吉野熊野特定地域総合開発計画の一環として南東部に坂本ダム,南部に池原ダムが建造され,電源開発が進んだ。仏経ヶ岳 (八剣山) 原始林,シシンラン群落は天然記念物に指定されている。村域の一部は吉野熊野国立公園に属する。東熊野街道 (国道 169号線) ,国道 425号線が通る。面積 274.22km2。人口 444(2020)。

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