米田虎雄(読み)こめだ・とらお

朝日日本歴史人物事典 「米田虎雄」の解説

米田虎雄

没年:大正4.11.27(1915)
生年:天保10.1(1839)
熊本藩士,明治天皇側近通称虎之助。熊本藩家老長岡監物(本姓米田)の子で,兄是豪を継いで慶応2(1866)年家老となった。戊辰戦争に藩兵を率い出征,帰国後権大参事として藩政改革に着手した。明治4(1871)年7月,公家に加えて士族侍従に登用する宮中改革が行われた際,侍従になり,以降ほぼ一貫して侍従の職にあった。10,11年には侍補となり天皇親政運動に参画した。25年男爵,のち子爵。37年宮中顧問官を兼ねる。また猟を能くし,41年以降 主猟頭も兼ねた。<参考文献>下田曲水『近代肥後人物史』

(西川誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「米田虎雄」の解説

米田虎雄 こめだ-とらお

1839-1915 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)10年生まれ。長岡監物(けんもつ)の次男。慶応2年肥後熊本藩家老。明治3年権(ごんの)大参事となり,藩政改革を実施。翌年宮内省にはいり,のち侍従長。明治天皇の側近にあり,宮中顧問官と主猟頭(しゅりょうのかみ)をかねた。子爵。大正4年11月27日死去。77歳。名は是保。通称は別に虎之助。

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