笠原研寿(読み)かさはら・けんじゅ

朝日日本歴史人物事典 「笠原研寿」の解説

笠原研寿

没年:明治16.7.16(1883)
生年嘉永5.5.5(1852.6.22)
明治前期の仏教学者。南条文雄と共にイギリスへ留学し,仏教学を学んだことで著名。越中国(富山県)恵林寺恵寿の子。別名僧墨,梵行院と号す。金沢石川舜台の家塾慎憲社に学び,明治5(1872)年に春日潜庵の門に入る。同6年新たに発足した東本願寺寺務所に入り,掌儀に就任した。同9年南条文雄と共にイギリスへ留学,同12年よりオックスフォード大学梵語を学ぶ。梵語仏典の翻訳・謄写に努めたが,病気によって帰国,翌年浅草大谷教校で梵語と英語とを教えた。著書に『仏教学徒将来の方針』『錫蘭紀行』など。<参考文献>南条文雄編『笠原遺文集』,南条文雄『懐旧録』

(草野顕之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笠原研寿」の解説

笠原研寿 かさはら-けんじゅ

1852-1883 明治時代の仏教学者。
嘉永(かえい)5年5月5日真宗大谷派の越中(富山県)恵林寺に生まれ,金沢で石川舜台の慎憲塾にまなぶ。明治9年本山留学生としてイギリスに留学,オックスフォード大でサンスクリットをまなんで15年帰国。浅草大谷教校でサンスクリットなどをおしえた。明治16年7月16日死去。32歳。字(あざな)は僧墨。号は梵行院。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android