南条文雄(読み)ナンジョウブンユウ

デジタル大辞泉 「南条文雄」の意味・読み・例文・類語

なんじょう‐ぶんゆう〔ナンデウ‐〕【南条文雄】

[1849~1927]仏教学者。岐阜の生まれ。号、碩果英国留学し、マックス=ミュラーに師事し梵文学を研究。のち大谷大学学長を務め、仏典研究に貢献。著「大明三蔵聖教目録」「梵本般若心経」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「南条文雄」の意味・わかりやすい解説

南条文雄 (なんじょうぶんゆう)
生没年:1849-1927(嘉永2-昭和2)

明治仏教学界の先達とされる真宗大谷派の学僧岐阜県出身。1868年大谷派高倉学寮卒。76年よりイギリスオックスフォード大学に留学,84年帰国。85年東京帝国大学梵語(サンスクリット)学講師,1914年大谷大学学長となる。留学中はF.M.ミュラー門下としてマクドーネルより梵語を修め,梵文仏典を研究。1883年《梵文大無量寿経阿弥陀経》をミュラーと共同校訂,出版。原典の共同校訂に当たる間,梵文仏典校訂における漢訳本の重要性を西欧学界に知らせたことは大きな功績とされる。さらに《Saddhannapuṇḍarīka-sūtra(梵文法華経)》(1908-12。ケルンと共同校訂),《Laṅkāvatāra-sūtra(梵文入楞伽経(にゆうりようがきよう))》(1923),《Suvarṇaprabhāsa-sūtra(梵文金光明最勝王経)》(1931)を校訂。また精確な学術用の漢訳大蔵経解題の書,《A Catalogue of the Chinese Translation of the Buddhist Tripiṭaka,the Sacred Canon of the Buddhist in China and Japan(英文明蔵目録)》(南条目録。1883)も重要な業績である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南条文雄」の意味・わかりやすい解説

南条文雄
なんじょうぶんゆう
(1849―1927)

真宗大谷(おおたに)派の僧侶(そうりょ)。サンスクリット語による仏典研究に力を尽くす。岐阜県大垣(おおがき)の誓運寺(せいうんじ)に生まれ、1871年(明治4)福井県南条郡の憶念寺(おくねんじ)南条神興(じんこう)(1841―1887)の養子となる。1868年、大谷派の高倉(たかくら)学寮に入学。1876年にはイギリスに留学し、マックス・ミュラーに師事してサンスクリット語学を学び、1884年に帰国。東京大学講師、真宗大学(大谷大学の前身)教授などを歴任し、1914年(大正3)から1923年まで大谷大学の第2代学長を務めた。多くの研究業績があるが、留学中にオックスフォードで刊行した『大明三蔵聖教(たいみんさんぞうしょうぎょう)目録』A Catalogue of the Chinese Translation of the Buddhist Tripitaka(1883)は、「南条目録」として著名。その経歴は『懐旧録』(自叙伝)に詳しい。

[北西 弘 2017年9月19日]

『『懐旧録』(平凡社・東洋文庫)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南条文雄」の解説

南条文雄 なんじょう-ぶんゆう

1849-1927 明治-大正時代の僧,仏教学者。
嘉永(かえい)2年5月12日生まれ。南条神興の養子。明治9年東本願寺からイギリスに留学して梵語(ぼんご)を研究,「大明三蔵聖教目録」(英文)を発表,注目をあびる。真宗大学監,大谷大学長をつとめ,日本での梵語原典による経典研究の道をひらいた。学士院会員。昭和2年11月9日死去。79歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。旧姓は渓。号は碩果。
【格言など】妄言いうな。恩を忘れるな,陰日向なく働け

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南条文雄」の意味・わかりやすい解説

南条文雄
なんじょうぶんゆう

[生]嘉永2(1849).5.12. 大垣
[没]1927.11.9.
浄土真宗大谷派の学僧。京都の高倉学寮に学び,1876年ロンドンに行き,84年までオックスフォード大学の M.ミュラーのもとで研究し,梵文『阿弥陀経』『無量寿経』,英訳『大明三蔵聖教目録』 (『南条目録』,1883) ,梵文『法華経』 (1908~12) などを刊行した。 1914年大谷大学学長。

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旺文社日本史事典 三訂版 「南条文雄」の解説

南条文雄
なんじょうぶんゆう

1849〜1927
明治・大正時代の仏教学者
美濃(岐阜県)の生まれ。真宗東本願寺派僧侶。維新時は大垣藩僧兵隊に選抜され,1876年イギリスへ留学。オクスフォード大学で梵語を修め,帰国後東大講師・大谷大学長などを歴任した。仏典研究の先駆者。著書に『梵学講義』など。

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世界大百科事典(旧版)内の南条文雄の言及

【インド学】より

…また,セナールÉ.C.Sénart(1847‐1928),レビS.Lévi(1863‐1935),ド・ラ・バレ・プッサンL.de la Vallée Poussin(1869‐1937)らが仏教研究に果たした貢献も大きい。 日本においては,オックスフォード大学のミュラーに師事した南条文雄が,1885年東京大学において梵語学を開講し,近代的インド学,仏教学の端緒を開いた。1901年,東京大学に梵語学の講座が創設され,同じくミュラー門下の高楠順次郎が初代教授となり,その門下に逸材が輩出した。…

※「南条文雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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