竜泉窯(読み)リュウセンヨウ

デジタル大辞泉 「竜泉窯」の意味・読み・例文・類語

りゅうせん‐よう〔‐エウ〕【竜泉窯】

中国浙江せっこう省竜泉県およびその付近にあった窯。宋~明代に青磁を産出し、日本では、ほぼ時代順にきぬた青磁(南宋)、天竜寺青磁(元~明代中期)、七官しちかん青磁(明代後期)とよばれて珍重された。→砧青磁

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竜泉窯」の意味・わかりやすい解説

竜泉窯
りゅうせんよう

中国の代表的な青磁窯。浙江(せっこう)省南部竜泉県を中心に福建省一帯まで窯址(ようし)は広く散在する。発祥は北宋(ほくそう)時代で、越州窯の一支窯として開かれた。初めは灰青色の越州窯青磁の系譜を引く青磁を焼成したが、11世紀後半には青緑色の独特の釉色(ゆうしょく)を開発し、しだいに越州窯を凌駕(りょうが)して中国第一の青磁窯に成長した。古窯址は竜泉県に集中して発見され、大窯、金村、渓口、王湖、安福、安仁口、梧桐口、周、王庄、道太、小白岸、楊梅嶺、王石坑、坳頭、新亭、岱根など二十数か所が知られている。竜泉窯とはこれら諸窯の総称であるが、このほか周囲の麗水県、雲和県、遂昌(ついしょう)県、永嘉(えいか)県にも古窯址は広がり、さらに一部は福建省南部にも及んでいる。福建省同安県の同安窯はまさに竜泉窯の一支窯であり、その分布範囲は広大である。

 12世紀後半になると、南宋官窯(郊壇(こうだん)窯)の影響を受けて、粉青色のいわゆる砧(きぬた)青磁を焼造して天下にその名を高めた。大窯、金村、渓口、坳頭、新亭、岱根の六か所の窯が砧青磁を焼成していたことが認められている。

 元代後半の14世紀初頭には、日本で天竜寺青磁といわれる大盤、大壺(たいこ)、大瓶などの大作を中心とした青緑色釉のかかった作風主流が転じ、明(みん)代を通じてこれが盛行した。なお、日本で七官(しちかん)青磁とよばれる透明度のある淡青色の青磁は、砧青磁の系譜を引く文人愛玩(あいがん)の器皿で、砧青磁の釉色が退化し、造形も生硬となったもので、日本では茶具として珍重されたために砧青磁とともに多くの優品が伝存している。竜泉窯は清(しん)朝を通じて存続はしていたものの、活動はかなり退潮していたと推測される。なお、明代の文献には多く処州窯の名で現れ、一般にその製品は「処器」と称された。

[矢部良明]

『『世界陶磁全集12 宋』『世界陶磁全集13 遼・金・元』(1977、1981・小学館)』


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改訂新版 世界大百科事典 「竜泉窯」の意味・わかりやすい解説

竜泉窯 (りゅうせんよう)
Lóng quán yáo

中国最大の青磁窯。浙江省南部に開窯し,北部の越州窯青磁の系譜を受けつぎ,北宋,南宋,元,明,清,そして今日にいたっている。北宋の竜泉窯は越州窯系青磁の系譜を受けた作品をおもに生産し,施文も刻花文などが多い。南宋には,日本の茶人に愛された砧(きぬた)青磁をつくりだし,中国国内ばかりでなく,日本や東南アジア,西アジアにも広く輸出された。玉のごとき粉青色の釉調を呈し,文様を施さないものが多い。尊形,觚(こ)形,鼎(てい)形など殷周青銅器の形を写したものが多いのも砧青磁の特徴である。砧青磁の遺品は日本に最も多く,作もすぐれたものが多い。国宝の青磁下蕪(しもかぶら)瓶,豊臣秀吉が所持したとされる〈大内筒〉(重要文化財),京都山科の毘沙門堂に伝わった〈万声〉,足利義政所持の〈馬蝗絆(ばこうはん)〉(重要文化財)などがあり,これに加えて鎌倉・室町時代の遺跡からも多数発見され,ほぼ日本全域におよんでいる。

 元時代の竜泉窯青磁は天竜寺青磁といわれ,宋代のものより厚手で大作の器が多くなる。大皿,大鉢,大瓶があり,器面の釉下に刻花で花卉(かき)文,牡丹文,唐草文などを描いている。釉調は宋代のものに比べるとやや黒ずんだ青磁色を呈している。トルコのトプカプ宮殿やイランのアルデビル宮殿などに元代の竜泉窯青磁の大作が多く伝わっている。1976年に韓国新安の沖で発見された沈没船からは数千点の竜泉窯青磁の器皿が発見され,日本に輸出する途中のものと考えられている。明代になると竜泉窯はやがて衰退していき,硯や水滴,小香炉など文房具や,鉢,皿などの小器皿が作られていたようである。明代の竜泉窯青磁を日本では七官青磁と呼んでいる。
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百科事典マイペディア 「竜泉窯」の意味・わかりやすい解説

竜泉窯【りゅうせんよう】

中国,浙江省にある中国最大の青磁窯。起源は五代〜北宋初期のころとされる。南宋時代の作が最もすぐれ,日本ではその時期の青みのある釉(ゆう)色を砧(きぬた)青磁,元〜明初期の緑色の強い釉色のものは天竜寺,明中期以後の釉色の黄緑色の製品を七官(しちかん)と呼ぶ。竜泉窯の作品には無文のものもあるが,彫文様,貼り付け文様,鉄斑文を施した作例も多く見られる。貿易陶磁としても,各時代を通じ海外に広く輸出された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竜泉窯」の意味・わかりやすい解説

竜泉窯
りゅうせんよう
Long-quan-yao

中国,浙江省竜泉県,慶元県,麗水県などで,宋代から明代まで,長期にわたって膨大な青磁を産した窯,またはその窯で生産された青磁の呼称。製品は南宋の頃から東南アジア,イラン,イラク,エジプトなどへ多量に輸出された。竜泉青磁は失透性の青色釉を基調としており,花瓶,香炉などに優品がある。日本へも鎌倉・室町時代に盛んに輸入され,砧青磁,天竜寺青磁と呼ばれ愛用された。

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世界大百科事典(旧版)内の竜泉窯の言及

【窯】より

…たとえば明・清代の景徳鎮窯は南方にありながら竜窯系の窯ではなく,基本は平窯で,平面は細長い形をした特殊な形式である(景徳鎮)。唐代後期以後,需要の増大とともに窯の規模は大きくなり,宋代の竜泉窯のように,幅が3m,長さが50mをこえる巨大な竜窯なども築かれた。
[朝鮮,東南アジア]
 朝鮮半島の古い窯はよくわかっていないが,硬質の金海式土器では地面を掘って築いた傾斜窯が用いられたと推測されている。…

【官窯】より

…狭義の官窯は,宋時代に宮中の御用品としての青磁を焼いた,いわゆる宋官窯のことで,北宋官窯・汝窯(汝官窯)・南宋官窯(修内司窯・郊壇窯)がこれに当たる。その製品は中国の最もすぐれた青磁として喧伝され,竜泉窯その他でさかんに模倣が行われた。これを受けて鎌倉・室町時代の日本でも官窯青磁が珍重されたが,釉面にひびがあることがその特徴と考えられたことから,官窯が転じて釉のひびを〈かんにゅう(貫入)〉と呼ぶようになった。…

【青磁】より

…また国内需要だけでなく,主要な交易品として積極的に輸出され,日本,朝鮮,東南アジア,西アジア各地で越州窯青磁が発見されている。 北宋後期になると越州窯は衰退し,それにかわって浙江南部の竜泉窯で青磁がつくりはじめられ,南宋,元,明,清以降,今日に至るまで,中国青磁の中心となっている。初期のものは,越州窯青磁に似たものを生産していたが,南宋時代には,粉青色のすばらしい釉調をたたえた砧(きぬた)青磁を生みだした。…

※「竜泉窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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