トプカプ宮殿(読み)トプカプキュウデン(英語表記)Topkapı Sarayı

デジタル大辞泉 「トプカプ宮殿」の意味・読み・例文・類語

トプカプ‐きゅうでん【トプカプ宮殿】

Topkapi Sarayiトルコイスタンブールにある宮殿オスマン帝国メフメット2世が15世紀後半に造営。現在は国立博物館。1985年、「イスタンブール歴史地域」の一部として世界遺産文化遺産)に登録された。トプカプとは大砲の門の意。

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精選版 日本国語大辞典 「トプカプ宮殿」の意味・読み・例文・類語

トプカプ‐きゅうでん【トプカプ宮殿】

(Topkapı Sarayı) イスタンブールにある宮殿。一五世紀後半にオスマン帝国のメフメト二世が建設を始め、歴代スルタン増改築を加えたが、一八六三年の大火大部分が焼失した。現在は博物館として公開されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「トプカプ宮殿」の意味・わかりやすい解説

トプカプ宮殿 (トプカプきゅうでん)
Topkapı Sarayı

コンスタンティノープルの征服者であるオスマン帝国のメフメト2世征服王によって,1454年から15世紀後半にかけてイスタンブールの要衝の地に創設された木造の宮殿。1574年,1665年,1862年の災害後に再建されたが,19世紀にボスポラス海峡沿いにドルマバフチェ宮殿(1853)などのヨーロッパ風の宮殿が建てられるまで,歴代のスルタンたちにより増改築が繰り返された。したがって,様式は混交し統一性に欠ける。かつて王宮を囲んでいた城壁の〈大砲の門(トプカプ)〉が,宮殿の名称となっている。同宮殿は,正門〈帝国の門〉,中門〈表敬門〉,第3の門〈幸福の門〉によって結ばれた三つの主要な中庭の周囲に配置された種々の建物から構成されている。すなわち〈謁見の間〉(1585),レワン・キオスク(離宮)(1635),バグダード・キオスク(1638),ムスタファ・パシャ・キオスク(1774-89),チニリ(タイル張りの)・キオスク(1472)などの各パビリオンモスクハレム(1550創設),浴場,アフメト3世の図書館,宝物庫,厨房(16世紀)などから構成される。

 1925年の共和制樹立後に国立博物館となり,現在,収蔵展示されている古写本類,1万数千点のミニアチュール,1万点を超える東洋陶磁器,武器・武具,スルタンの衣服・馬車,宝飾品などは,いずれも輝かしいオスマン帝国の歴史と文化を示す貴重な文化遺産である。
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百科事典マイペディア 「トプカプ宮殿」の意味・わかりやすい解説

トプカプ宮殿【トプカプきゅうでん】

トプカプのトプは〈大砲〉,カピは〈門〉の意。15世紀メフメト2世がコンスタンティノープル(イスタンブール)を大砲で征服したことにちなみ造営させたオスマン帝国の宮殿。敷地面積は70万m2で二重の城壁に囲まれ,本体は幅180m,奥行280mの長方形の建物である。多くのパビリオン,中庭,モスク,ハレム,図書館,浴場,宝物庫などがある。400年にわたって政治の中枢であったが,現在では国立博物館として古写本,細密画,東洋陶磁ほかトルコの文化遺産が収められている。
→関連項目イスラム文化

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トプカプ宮殿」の意味・わかりやすい解説

トプカプ宮殿
とぷかぷきゅうでん
Topikapi Sarayi

イスタンブール旧市街の東端、三方を海に囲まれた高台にある宮殿。古代にはアクロポリスの地であった。15世紀後半にオスマン帝国のメフメト2世が建設を始め、歴代のスルタンが増改築を加えて、多数の建物を擁する広大な宮殿になったが、1863年の大火でその多くが焼失した。トプカプの名は正門前にあった2門の巨砲に由来する。

 現在は博物館として公開され、宝物庫には大きな宝石を無数にちりばめた豪華な家具調度、宝飾品、衣装、美術史的に貴重な写本や細密画などがある。もとの調理場には中国磁器の大器、逸品が多数展示され、有田焼、ガラス器などもある。現存している建物では、庭園内のバグダット・キョシキュがもっとも華麗である。なお、この宮殿のあるイスタンブール旧市街は1985年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[紅山雪夫]

『トプカプ宮殿博物館全集刊行会編・刊『トプカプ宮殿博物館』全5冊(1980)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トプカプ宮殿」の意味・わかりやすい解説

トプカプ宮殿
トプカプきゅうでん
Topkapı Sarayı

トルコイスタンブールにある,1478~1892年にオスマン帝国スルタンが居住して政治を司った宮殿。名称は,巨大な大砲(トプ)がこの宮殿のボスポラス海峡に面した門(カプ)に据えられたことに由来する。イスタンブールを征服したメフメット2世によって 13年の歳月をかけて建築された。以後,歴代のスルタンによって増改築され,内部には大国政会議室,ハレム,学校,モスク,図書館などがある。今日では博物館として一般に開放され,中庭には考古学博物館がある。

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世界の観光地名がわかる事典 「トプカプ宮殿」の解説

トプカプきゅうでん【トプカプ宮殿】

トルコ最大の都市イスタンブール、ボスポラス海峡と金角湾(きんかくわん)がマルマラ海と出会うところにある宮殿で、かつてのオスマントルコ帝国の中心。敷地は70万m2と広大で、400年にわたりスルタンの家族とその家来や使用人たちが暮らしていた。敷地内には樹木の茂る庭園、調理場、ハーレムの女たちの部屋、聖マントルの館などが散在している。現在はオスマントルコ帝国時代の代表的な建築物の一つとして保存・管理され、6000点の常設コレクションを持つ、世界有数の宮殿博物館となっている。

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世界遺産情報 「トプカプ宮殿」の解説

トプカプ宮殿

トルコ、イスタンブールにあるトプカプ宮殿は15世紀から19世紀にかけてトルコオスマン帝国の中心として、繁栄を極めた宮殿です。様々な建物が迷路のように複雑につながった豪奢な宮殿内では、スルタンとその従者たちが生活を共にし、統治を行ってきました。スルタンの妻や子供が暮らしたというハーレムなども残されており、往時の華やぎを今に伝えています。現在は展示館や宝物館などになっている部屋も多く、中国陶磁器や中世の貴重な細密画のコレクションなどを見学することもできます。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「トプカプ宮殿」の解説

トプカプ宮殿(トプカプきゅうでん)
Topkap&idotless; Saray&idotless;

オスマン帝国の宮殿。イスタンブルを征服したメフメト2世により1465~78年に造営され,1853年までスルタンの居城として用いられた。外廷,内廷,ハレムからなり,御前会議の場として長く国政の中心であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「トプカプ宮殿」の解説

トプカプ宮殿
トプカプきゅうでん
Topqapu

オスマン帝国の宮殿
メフメト2世が1465年よりイスタンブルに創建。皇帝の住居であり,政治の中心でもあった。その名は城壁にある「大砲の門(トプカプ)」に由来し,多くのキオスク(東屋)・モスク・ハーレム・浴場・図書館・宝物庫などを備える。現在は国立博物館となっている。

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世界大百科事典(旧版)内のトプカプ宮殿の言及

【イスタンブール】より

…コンスタンティノポリスの英語名コンスタンティノープルConstantinopleも旧称として広く使われている。
【古代ギリシア・ローマ時代】
 ボスポラス海峡のヨーロッパ側南端部,北を金角湾,南をマルマラ海で挟まれた半島のさき,現代のトプカプ宮殿の地点に,前659年(カエサレアのエウセビオス伝承)ないし前668年(ヘロドトス伝承)に,メガラ人により,ギリシア人植民市として建設されたといわれる。アケメネス朝のダレイオス1世のスキタイ遠征から前478年までペルシアの,続いてアテナイの支配をうけた後,アテナイとスパルタの対立にまきこまれ,そのいずれかの勢力に属することになった。…

【宮廷】より

… オスマン朝の宮廷制度は,15世紀以降に本格的に発展した。とりわけ15世紀後半,メフメト2世によるコンスタンティノープル征服の後,新都イスタンブールに,従来の首都ブルサとエディルネにおける宮殿に加えて,〈旧宮殿〉,〈新宮殿〉(別名トプカプ宮殿)が新たに造営され,制度的にも著しい発展を遂げた。オスマン朝では,宮廷はペルシア語からの借用語で〈サライ〉と呼ばれ,君主の公務の場としての外廷と,君主の私的生活の場としての内廷と,宮廷の女性の生活の場としてのハレム(後宮)とに分かれていた。…

※「トプカプ宮殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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