神於寺(読み)こうのじ

日本歴史地名大系 「神於寺」の解説

神於寺
こうのじ

[現在地名]岸和田市神於町

神於山の南麓にある。布引山と号し、本尊大日如来、天台宗。神於山は古来泉南地方の神体山とあがめられた独立峰で、北東斜面のおぐら谷から流水文銅鐸が出土しており、山上には雨の神を祀る神於寺の鎮守宝勝ほうしよう権現社の跡がある。当寺が所蔵する神於寺縁起によると、天武天皇の勅願で白鳳一二年に役行者が開創し、新羅国から泉州麻生あそう(現貝塚市)きたの浦に飛来した雷神(宝勝化人)を寺内に勧請して寺号を神於寺としたが、役行者が葛城明神の訴えで伊豆に流されてから寺は廃れ人跡も絶えた。その後、山林修行の霊地を求めて神於山に入った百済の僧光忍は、荒れて大雨洪水をもたらす雷神を鎮め、弥勒菩薩安置して寺を再建し、宝亀五年(七七四)造営の功を成しとげたという。

平安時代の神於寺は、天長一〇年(八三三)弘法大師が来山した伝承があるが(縁起)密教修験道系の山岳寺院として発展したと思われ、寺域内の薬師やくしといわれる場所から平安期の蓮華文軒丸瓦が一枚発掘されている。鎌倉時代には、弘安二年(一二七九)の春に如海という勧進上人が、神於寺の惣門と金剛力士像、破壊した講堂・鐘楼・経蔵および講堂の五智如来像を造立する事業を起こしたことが縁起の末尾にみえる。鎌倉期以降の瓦・陶器・土師器・瓦器などの破片は寺内の至る所に散布し、銅の灯明皿・羽釜・擂鉢・甕・石鍋・舶来の青磁、中世墳墓の蔵骨器や積石も発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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