泉州(読み)センシュウ

デジタル大辞泉 「泉州」の意味・読み・例文・類語

せん‐しゅう〔‐シウ〕【泉州】

和泉いずみの異称。
中国福建省南部の港湾都市台湾海峡に臨み、時代から南海貿易の拠点として発展。食品加工・製薬などの工業が盛ん。2021年、「泉州 : 宋・元時代の中国における世界のエンポリウム」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。チュアンチョウ。

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精選版 日本国語大辞典 「泉州」の意味・読み・例文・類語

せん‐しゅう ‥シウ【泉州】

[一] 和泉国別称。〔文明本節用集(室町中)〕
[二] 中国、福建省南東部、晉江下流の港湾都市。唐代に州の治所が置かれ、宋・元代には中国第一の南海貿易港として繁栄した。同国最古のイスラム寺院がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「泉州」の意味・わかりやすい解説

泉州
せんしゅう / チュワンチョウ

中国、福建(ふっけん)省中部にある地級市。4市轄区、5県を管轄し、3県級市を管轄代行するが、そのうち金門(きんもん)県は台湾の支配下にある(2016年時点)。晋江(しんこう)下流の北岸に位置する。人口716万2000(2014)。町の形がコイに似ているところから鯉城(りじょう)、町に刺桐(とげきり)(エリスリナ)が多いことから刺桐城(しとうじょう)とよばれている。唐代から海外交通の要地として開け、宋(そう)末から元初にかけては、ザイトンの名でアラビアからヨーロッパまで知られ、マルコ・ポーロも立ち寄っている。住民は漢民族のほかに回族、ショオ族(畬(よ)族)などの少数民族と数万人の帰国華僑(かきょう)、華僑家族がいる。

 市域は北から南に向かって低くなり、南東部は泉州湾を晋江が埋めた沖積平野である。気候は亜熱帯性で温暖湿潤、年平均気温は20.6℃。リュウガン、ブドウなどの果物の生産量が多い。海上交通の要所であるとともに古くから晋江流域の物資の集散地として栄え、現在も付近の産物を原料として、缶詰、製糖、製粉などの食品加工、製薬などをはじめ、化学、機械、紡織、電子などの工業が盛んである。福厦(ふくか)高速鉄道(福州(ふくしゅう)―厦門(アモイ))、漳泉肖線(漳平(しょうへい)―泉州)などが通じ、同市を終点とする興泉線(興国(こうこく)―泉州)が建設中である。

 市内には古都泉州を語る名勝旧跡が多い。また多種多様な工芸品が生産されている。古刹(こさつ)開元寺には東西両塔ならびに古代の船体を展示する海外交通史博物館がある。またアラビアとの交流の遺物が残る清浄寺(イスラム寺院)とイスラム聖墓、福建省最大の孔廟(こうびょう)と府学、天后宮、百源川池(工人文化宮公園)などのほか、北郊に清源山、九日山などがある。なお東郊の洛陽(らくよう)に架かる洛陽橋は古代泉州の四大名橋である。付近に宋代に洛陽橋をつくった蔡襄(さいじょう)を祀(まつ)る廟がある。

[青木千枝子・河野通博・編集部 2017年3月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「泉州」の意味・わかりやすい解説

泉州 (せんしゅう)
Quán zhōu

中国,福建省の南東部沿岸,晋江の下流に位置する港湾商工業都市。唐代に晋江県が置かれ泉州の治所となり,明・清代には泉州府の治所となった。1951年に晋江県の市街区を分離して市が設置された。現在は港内に土砂が堆積して汽船が通れなくなり,晋江流域の物産である木材・茶・サトウキビの集散地にすぎないが,唐・宋時代には中国南東部の国際貿易港として繁栄した。五代に王氏が福建に閩(びん)国をたて,後に留従効(906-962)がここに拠って独立し,対外貿易を奨励したため,北宋には隆盛に向かった。1087年(元祐2)には市舶司が置かれた。最も繁栄したのは南宋代からで,臨安行在府の杭州に近い関係より,貿易額で歴史の古い広州をしのぎ,数十万人の人口を擁していた。中国人の海外発展の一大根拠地で,アラビア人をはじめ多数の外国人のために蕃坊と称する専用の居留地が河岸に沿って設けられたのもこの時期からのことである。

 元代には中国第一の南海貿易港として世界的に有名となり,マルコ・ポーロやイブン・バットゥータらが〈ザイトン〉の名で世界一繁栄している港としてその盛況を伝えている。日本やジャワ遠征の艦隊はいずれもここから出発したのであって,元の海運根拠地でもあった。しかし明の中期からしだいに衰え,港口の土砂の堆積による舟航の不便とともに,清代になって福州や厦門(アモイ)の開港のために台湾貿易の他は単なる地方港の一つとなった。解放後,製糖,綿紡績,機械,食品などの工業が発達した。伝統的な手工業では人形,刺繡,石彫,竹細工,堆朱,扎などが全国的に知られる。市内の遺跡には海外交通関係のものが多く,近年,泉州湾後渚港で宋代の海船が発見され注目をあびた。また中国最古のモスクである番仏寺,中国唯一のマニ教寺院,元代のアラブの墓石碑,宋・元時代の海外輸出用の陶磁器窯跡など,いずれも宋・元時代に対外関係で泉州が重要な位置を占めていたことを示すものである。
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百科事典マイペディア 「泉州」の意味・わかりやすい解説

泉州【せんしゅう】

中国,福建省南東部の都市。泉州湾に臨む。元代には西方諸国人によってザイトンと呼ばれ,宋〜元代には中国最大の貿易港として繁栄したが,港口浅く,福州・廈門(アモイ)の開港後は急速に衰えた。現在は晋江流域の物資集散地で,漆器,刺繍(ししゅう),竹細工などの手工芸品を産する。華僑(かきょう)大学,師範学院がある。104万人(2014)。
→関連項目市舶司蒲寿庚

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旺文社世界史事典 三訂版 「泉州」の解説

泉州
せんしゅう
Quánzhōu

中国福建省南東部,台湾海峡に面する港湾都市
唐代から南海貿易港として発達。アラビア商人の来航が多く,その記録にジャンフー(泉府の音訳)とみえる。南宋から元代にかけて最も栄え,広州をしのいだ。マルコ=ポーロはザイトンの名のもとに世界最大の貿易港と賞賛している。明以後は急速に衰亡。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「泉州」の解説

泉州(せんしゅう)
Chuanzhou

中国福建省東南部の海港都市。唐初より宋,元を通じイスラーム地域,南海,東アジアの貿易の世界的貿易港として栄えた。外国人居留地,イスラーム教,景教マニ教などの文化交流の遺跡に富む。

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藩名・旧国名がわかる事典 「泉州」の解説

せんしゅう【泉州】

和泉国(いずみのくに)

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世界大百科事典(旧版)内の泉州の言及

【元】より

…この国内商業の旺盛さは当然ながら国際貿易にも反映しなければならない。海路貿易では東シナ海(東海)向けの明州(寧波),南シナ海(南海)向けの泉州が中心となって南宋以来の盛況が維持される。とくに泉州の繁盛ぶりはマルコ・ポーロをして世界第一の開港場だと驚嘆せしめるまでであったし,他方陸路貿易も漢・唐をしのぐまでの繁栄を現出した。…

【蕃坊】より

…中国,唐・宋時代に外国貿易港であった広州,泉州などに設けられた外国人の居留区。蕃坊の語義は蕃人(外国人)の居住する坊市(市街区)の意である。…

【福建[省]】より

…三国時代になって呉が建安郡(中心は今日の建陽県),続いて晋が晋安郡(中心は今日の福州市)をおいたのは,北方からの漢民族移住が盛んとなり開発が進んだからである。南朝の梁ではさらに南安郡(中心は今日の泉州市)を増設した。隋をへて唐になると建,福,泉,汀,漳の5州がおかれ,全域が福建と連称されて嶺南道から江南東道に管轄換えされたのは唐中期以後のことである。…

※「泉州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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